エディ藩が「大岡川桜まつり」に登場するという情報を冬桃さんのブログで知り、これはぜひとも聴きに行かなくちゃと思って、昨日、小雨のぱらつくなかを日ノ出町から黄金町まで歩いてきました。
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屋形船の連隊。
これは遊覧用ですが、もっと高速の船を通勤用に使ったらいいと思うのですが。
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伊勢佐木町側の歩道。
屋台や町内会のブースなどが出ていました。
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いいトイレですね。
橋のたもとにはたいてい公衆トイレがあります。
ここのはそれほど古めかしくはありませんが、掘割川の八幡橋にあるのは、相当古いのではないでしょうか。
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あいにくの空模様で、桜の花が映えませんね。
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昭和3年竣工の太田橋。震災復興橋ですね。
江戸時代風の常夜灯を模した親柱が、なんとなく吉田勘兵衛思い出させます。
素晴らしい橋なのですが…
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これはいかがなものかと思いますが、まあ、短い期間なのだからいいのかな。
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橋を渡って京急側へ。
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この辺は立ち退きを迫られているという話も聞きましたが、どうなっているのかな。
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その向かい側でエディ藩がブルースを歌っていました。
投げ銭を受け付ける係の女性が、私の知り合いのYさんだったのでビックリ!
すごいなぁ、いろんなとこに登場しているんだねぇ。
聞けば、冬桃さんはついさっき帰ったばかりで…とのこと。お会いできず残念でした。
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ハーモニカもいい感じ。
最後の曲は、もちろん「横浜ホンキートンクブルース」でした。
間近で聴くのはいいですねぇ。
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普段は閑散としている交番前。
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ガード下ではこんなイベントも。
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黄金町エリアマネージメントセンターが主催しているのかな。
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右端の男性が叩いている楽器、最近はよく見かけます。
椅子が太鼓になっているみたい。そして必ず、横にあるのがジャラジャランと鳴る名前のわからないヤツと、シンバルという構成です。
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アートで云々…というのが、どうも私には馴染めないです。
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対岸の眺め。
川縁には屋台が似合います。
これを眺めていて思い出しました。
西区の新田間川沿いの屋台村(リバーサイド)は間もなく撤去されるようです。
ついでに、こんなのも。
昭和31年の地図ですが、吉田川(現大通り公園)沿いになにやら店がたくさん並んでいたようです。
屋台だったんでしょうかね、それとも長屋形式だったのかな。
いずれにしても川沿いに飲食店というのはいいですねぇ。
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剣道場では甘酒を売っていました。
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あの「よんふくcafe」。こっちに移転したんですね。
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ここから長者橋まで、桜が美しい。
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こんなライブも。
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棕櫚が美しい。
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やっぱり、箱型の打楽器を叩いている。
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宮川町に残る駄菓子屋。「なまこや」です。
このそばに、名前は忘れてしまいましたがストリップ劇場があったはず。
あるとき、劇場の外壁から火が出ているのを発見し、即通報したことがありました。
お礼として場内に招待されるのかと期待していたのですが、ひとことの挨拶もなく無念の涙を流したことが昨日のように思い出されます。
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現在の「なまこや」には、懐かしいお菓子が見当たりませんねぇ……。
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若い頃よく呑みに行った「コップ酒のよかろう」。
よかろうカクテルという謎の飲み物がすごかったなぁ。
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野毛の三角コーナー。
「子の神」はもともと、ここにあったという話を聞いたことがあります。
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何気なく通り過ぎようとしたのですが…
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こんな所にお地蔵さんが!
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いま「横浜屋」がある場所には、かつて加藤酒店がありました。
酒屋の手前、現在はホテルになっていますが、ここに「柳湯」という銭湯があり、港湾で働いている人々が一日の汗を流しに大勢来ていたものです。
その軒先にフライ屋があり、私は「加藤酒店」で買ったビールやワンカップを持ち込み、ニンニク揚げなどツマミに毎日のように呑んだくれていました。
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この空き地には「にゃあにゃあ」という飲食店があったと思います。
ずっと前に聞いた話ですが、この2階に草笛光子が一時住んでいたそうです。
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「ますのや」は健在のようですね。
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ここには石炭置場があったと記憶しています。
その手前のスペースに毎晩、よしず張りの屋台が出ていました。
1杯30円の焼酎に、なんの肉か分からない“やきとり”を食べていた頃が懐かしく思い出されます。
このあとは作治さんと落ち合い、ゴールデンセンター(ピオシティ)の地下で立ち飲み。
桜まつりで呑んだ焼酎(300円でコップ1杯分!)が効いてきて、「石松」では生ビール1杯しか呑めませんでしたが。
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かなり酩酊していたので、どうやって帰ったのかよく覚えていないのですが、あとで写真を見たら、こんなのを食べてから帰ったようです。
どこの蕎麦屋だろう……
「川村屋」かなぁ……
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね

屋形船の連隊。
これは遊覧用ですが、もっと高速の船を通勤用に使ったらいいと思うのですが。

伊勢佐木町側の歩道。
屋台や町内会のブースなどが出ていました。

いいトイレですね。
橋のたもとにはたいてい公衆トイレがあります。
ここのはそれほど古めかしくはありませんが、掘割川の八幡橋にあるのは、相当古いのではないでしょうか。

あいにくの空模様で、桜の花が映えませんね。

昭和3年竣工の太田橋。震災復興橋ですね。
江戸時代風の常夜灯を模した親柱が、なんとなく吉田勘兵衛思い出させます。
素晴らしい橋なのですが…

これはいかがなものかと思いますが、まあ、短い期間なのだからいいのかな。

橋を渡って京急側へ。

この辺は立ち退きを迫られているという話も聞きましたが、どうなっているのかな。

その向かい側でエディ藩がブルースを歌っていました。
投げ銭を受け付ける係の女性が、私の知り合いのYさんだったのでビックリ!
すごいなぁ、いろんなとこに登場しているんだねぇ。
聞けば、冬桃さんはついさっき帰ったばかりで…とのこと。お会いできず残念でした。

ハーモニカもいい感じ。
最後の曲は、もちろん「横浜ホンキートンクブルース」でした。
間近で聴くのはいいですねぇ。

普段は閑散としている交番前。

ガード下ではこんなイベントも。

黄金町エリアマネージメントセンターが主催しているのかな。

右端の男性が叩いている楽器、最近はよく見かけます。
椅子が太鼓になっているみたい。そして必ず、横にあるのがジャラジャランと鳴る名前のわからないヤツと、シンバルという構成です。

アートで云々…というのが、どうも私には馴染めないです。

対岸の眺め。
川縁には屋台が似合います。
これを眺めていて思い出しました。
西区の新田間川沿いの屋台村(リバーサイド)は間もなく撤去されるようです。

昭和31年の地図ですが、吉田川(現大通り公園)沿いになにやら店がたくさん並んでいたようです。
屋台だったんでしょうかね、それとも長屋形式だったのかな。
いずれにしても川沿いに飲食店というのはいいですねぇ。

剣道場では甘酒を売っていました。

あの「よんふくcafe」。こっちに移転したんですね。

ここから長者橋まで、桜が美しい。

こんなライブも。

棕櫚が美しい。

やっぱり、箱型の打楽器を叩いている。

宮川町に残る駄菓子屋。「なまこや」です。
このそばに、名前は忘れてしまいましたがストリップ劇場があったはず。
あるとき、劇場の外壁から火が出ているのを発見し、即通報したことがありました。
お礼として場内に招待されるのかと期待していたのですが、ひとことの挨拶もなく無念の涙を流したことが昨日のように思い出されます。

現在の「なまこや」には、懐かしいお菓子が見当たりませんねぇ……。

若い頃よく呑みに行った「コップ酒のよかろう」。
よかろうカクテルという謎の飲み物がすごかったなぁ。

野毛の三角コーナー。
「子の神」はもともと、ここにあったという話を聞いたことがあります。

何気なく通り過ぎようとしたのですが…

こんな所にお地蔵さんが!

いま「横浜屋」がある場所には、かつて加藤酒店がありました。
酒屋の手前、現在はホテルになっていますが、ここに「柳湯」という銭湯があり、港湾で働いている人々が一日の汗を流しに大勢来ていたものです。
その軒先にフライ屋があり、私は「加藤酒店」で買ったビールやワンカップを持ち込み、ニンニク揚げなどツマミに毎日のように呑んだくれていました。

この空き地には「にゃあにゃあ」という飲食店があったと思います。
ずっと前に聞いた話ですが、この2階に草笛光子が一時住んでいたそうです。

「ますのや」は健在のようですね。

ここには石炭置場があったと記憶しています。
その手前のスペースに毎晩、よしず張りの屋台が出ていました。
1杯30円の焼酎に、なんの肉か分からない“やきとり”を食べていた頃が懐かしく思い出されます。
このあとは作治さんと落ち合い、ゴールデンセンター(ピオシティ)の地下で立ち飲み。
桜まつりで呑んだ焼酎(300円でコップ1杯分!)が効いてきて、「石松」では生ビール1杯しか呑めませんでしたが。

かなり酩酊していたので、どうやって帰ったのかよく覚えていないのですが、あとで写真を見たら、こんなのを食べてから帰ったようです。
どこの蕎麦屋だろう……
「川村屋」かなぁ……
