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Channel: 中華街ランチ探偵団「酔華」
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3つのオリエンタルホテル

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 横浜市民なら洋菓子の「かをり」をご存じだと思いますが、この場所が横浜におけるホテル発祥の地であることは、あまり知られていないのではないでしょうか。


 ホテルができて2年後の1862(文久2)年、来日したアーネスト・サトウが2ヶ月ほどここに滞在していたそうです。
 その後は、イギリス公使オールコック、シーボルト、バクーニン、ハイネ、ワーグマンなど有名人が投宿しています。


 「かをり」の全景。壁面を覆うツタがいいですねぇ。秋になると紅葉しますよ。


 この場所はホテル発祥の地というだけではなく、西洋料理・洋菓子発祥の地でもあるんだってさ。ホテル内で料理とお菓子を出していたからなんでしょうかね。


 そういえば「かをり」のレストランには長いこと入っていません。
 昔はたまにここでランチを食べていたっけ…


 ハヤシライスが食べたくなってきた…


 さて、横浜最初のホテルがこの「横浜ホテル」なのですが(他にも諸説あるらしい)、私が興味を持つのはコチラ。


 「横浜の華」と謳われたオリエンタル・ホテル♪
 居留地87番Aにあったヘフカーズ・ホテルが撤退したあと、同番地にオリエンタル・ホテルが開業したそうです。
 ほんの少しですが『横濱』2005年秋号の特集に記事が出ています。 


 居留地時代、オリエンタルホテルというのは、時期や場所を変えていくつか存在していたといいます。
 これは11番にあった華やかなオリエンタルホテル。


 ダイニングルームも素敵♪


 1901(明治34)年に隣からのもらい火で焼失してしまいましたが、その2年後に「オリエンタル・パレス・ホテル」として新たに開業したそうです。
 (『開港の舞台』より)

 居留地時代のオリエンタル・ホテルはもうその痕跡すら見ることができなくなっていますが、横浜にはもう二つのオリエンタル・ホテルが名を知られていました。


 一つは中華街にあった「オリエンタルホテル」。
 当ブログだけではなく、あちらこちらで記事になっているので、ご存知の方は多いと思います。


 写真は30年近く前の撮影。右隣に駐車場を建設中です。さらにその右隣には、ほとんど記憶にないビルが写っていますが、当時の地図で調べると松尾ビルというものみたいですね。

 赤い電柱に取り付けられた照明や姫リンゴの街路樹をみると、現在とは随分と違いが感じられます。


 ただ、このオリエンタルホテルは既に解体され、現在は食べ放題の店ができています……


 これです。「萬源酒家」。



 もう一つは大丸谷坂にありました。今で言えばこの場所です。


 JR石川町駅南口から大丸谷坂を登ってすぐ右側。
 ここにオリエンタルホテルがあったのです。


 昭和50年代の大丸谷坂。
 もともとはチャブ屋だったようですが、この当時は普通のホテルです。


 ところで、この写真の左側に古くて懐かしい電柱が写っていますが、分かりますか?
 ほかに商店街灯のようなものも立っていました。 


 割と最近まで、こんなのも残っていたのですが、いつの間にか撤去されて……残念です。


 記憶は曖昧ですが、このホテルはどこかの社員寮になったのかな…
 そして現在はマンションに。


 以下は、なにかの雑誌を読んでいた時に、大丸谷のオリエンタルホテルの記事が掲載されていたのでコピーをとっていたものです。
 もう20年以上前かも。なかなか良い記事でした。
  




 明治時代のオリエンタルホテルは無理としても、中華街と大丸谷のオリエンタルホテルには泊まっておくべきでした。
 ま、中華街の方は、この方が宿泊してレポートを書いておられるので、とりあえず参考に見てみましょうか

  

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