コロナの影響で、どこもかしこも酷いことになっているよね。私の勤務先だって、大幅な収入ダウンのようであるが、中華街もかわいそうな状況だ。
こんな時こそ安全な横浜中華街でランチを食べるべく、作治さんと落ち合うことにした。場所は中区役所である。ご覧のようにここもほとんど無人だ。
さて、ここからどこに向かうか。
なんとなく作治さんの希望で「一楽」に決まり、お店までの途中、シャッターに張り出された案内を見ながら進む。
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これは「本日」だけではなく、何日か続くのだろうね。
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ここは15時で閉めてしまい、夜の営業は中止のようだ。
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このような町の状況を見ながら「一楽」に到着。まずは生ビールだ♪
写真を撮る間もなくゴクゴクと一気にあおり、まずは「プハ~」とやって落ち着く。
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頼んだランチが来るまでの間は、こういったものでジョッキを重ねるのだ。
この日のスープは鶏肉が入っていた。これをお代わりしていただく。
漬物は定番の大根&人参のほかに、キュウリも♪ これが美味しいんだよね。
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日替わりランチは「五目湯葉巻きのオイスターソース蒸」!
湯葉のトロトロ感がいいね。もちろん具もタレも旨いに決まっている。
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週替わりランチから「手羽先と砂肝の火鍋醤炒め」。この適度の辛さがなんとも言えない。
これはビールのお供というよりも、ご飯との相性が抜群だ。酒を呑みながらでもご飯がすすむ。
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食後のデザートとコーヒー♪ 私はこちらの杏仁豆腐が大好物なのだ。
近頃の横浜中華街のことや、昔の町の様子などを、お店の方々も交えて作治さんと語りあい昼食会を終えた。
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お店のトイレにはこんな写真が飾ってあるよ。
昭和30年代半ばの「一楽」だ。60年前かぁ……
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そして今まで気がつかなかったのだが、路地の入口にはこんなポールが立っていて、そこに英語交じりの広告が出ていたのだ。
TURKISH BATH HELTH CENTER
NEXT STREET
そうだった、広東道の端の方に「トルコ風呂」があったのだ。これは昭和30年代の明細地図で確認済みで、たぶんこれのことなんだろうね。
トルコ風呂といってもこの時代にあったのは、現代のようなソープランドではなく箱型の昔懐かしい蒸し風呂だ。新聞広告にはそんな絵が掲載されていたことからも分かる。
その下に掲示されているのは、「COCK CLUB」の案内。これはコックさんの集会所ではなく、バーの名前である。この路地を進み広東道に出て左に行くとその店があった。現在の場所でいうと、焼鳥バル「ル・コック」のところ。
名前が同じというのは、単なる偶然なのかな。
そういえば、この日のスープも鶏肉だった……
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
こんな時こそ安全な横浜中華街でランチを食べるべく、作治さんと落ち合うことにした。場所は中区役所である。ご覧のようにここもほとんど無人だ。
さて、ここからどこに向かうか。
なんとなく作治さんの希望で「一楽」に決まり、お店までの途中、シャッターに張り出された案内を見ながら進む。

これは「本日」だけではなく、何日か続くのだろうね。

ここは15時で閉めてしまい、夜の営業は中止のようだ。

このような町の状況を見ながら「一楽」に到着。まずは生ビールだ♪
写真を撮る間もなくゴクゴクと一気にあおり、まずは「プハ~」とやって落ち着く。

頼んだランチが来るまでの間は、こういったものでジョッキを重ねるのだ。
この日のスープは鶏肉が入っていた。これをお代わりしていただく。
漬物は定番の大根&人参のほかに、キュウリも♪ これが美味しいんだよね。

日替わりランチは「五目湯葉巻きのオイスターソース蒸」!
湯葉のトロトロ感がいいね。もちろん具もタレも旨いに決まっている。

週替わりランチから「手羽先と砂肝の火鍋醤炒め」。この適度の辛さがなんとも言えない。
これはビールのお供というよりも、ご飯との相性が抜群だ。酒を呑みながらでもご飯がすすむ。

食後のデザートとコーヒー♪ 私はこちらの杏仁豆腐が大好物なのだ。
近頃の横浜中華街のことや、昔の町の様子などを、お店の方々も交えて作治さんと語りあい昼食会を終えた。

お店のトイレにはこんな写真が飾ってあるよ。
昭和30年代半ばの「一楽」だ。60年前かぁ……

そして今まで気がつかなかったのだが、路地の入口にはこんなポールが立っていて、そこに英語交じりの広告が出ていたのだ。
TURKISH BATH HELTH CENTER
NEXT STREET
そうだった、広東道の端の方に「トルコ風呂」があったのだ。これは昭和30年代の明細地図で確認済みで、たぶんこれのことなんだろうね。
トルコ風呂といってもこの時代にあったのは、現代のようなソープランドではなく箱型の昔懐かしい蒸し風呂だ。新聞広告にはそんな絵が掲載されていたことからも分かる。
その下に掲示されているのは、「COCK CLUB」の案内。これはコックさんの集会所ではなく、バーの名前である。この路地を進み広東道に出て左に行くとその店があった。現在の場所でいうと、焼鳥バル「ル・コック」のところ。
名前が同じというのは、単なる偶然なのかな。
そういえば、この日のスープも鶏肉だった……
