この地図は横浜市のホームページに載っている昔の地図。根岸線が描かれているので、年代はたぶん昭和40年(1965)頃だろうと思います。
線路と並行に流れているのが派大岡川で、現在は高速道路になっています。それと直角に交わっているのが吉田川で、埋め立てられて今は大通り公園に。
川(実態は埋め残された海)には橋がいくつも架けられていました。羽衣橋と蓬莱橋は町名からつけられたのでしょうが、豊国と権三の由来は分かりません。人名なのでしょうかね。
緑色に塗ったエリアには草のマークが描かれています。これが、いわゆる“関内牧場”の一つです。接収解除が遅れて、関内のあちこちにこうした空閑地が残っていたそうです。もしかしたら、この辺りが最後の“関内牧場”だったのかもしれません。
さて、今日のお話は赤く塗った部分、パチンコ屋の2階にあったパブでの思い出です。というか事件といった方がいいかもしれません。
冒頭に掲げた地図は昭和40年前後のものですが、事件が起きたのはそれから20年くらい後のこと。
この赤く塗った部分にパチンコ屋「ニューフレンド」がありました。その2階にあったのがパブです。たしか、店名も「ニューフレンド」だったのではないでしょうか。
あの日は、異業種の若者たちで雑誌の編集会議をしたあと、みんな(男性ばかり)でこのパブに行ったのでした。広いフロアの周りにテーブルと椅子が配置されていたと記憶しています。
今までの編集会議のことを話しながら、飲み食いして盛り上がっていると、誰かが踊りに行こうと言い出しました。席を立ちダンスフロアに向かったのは数人でしたが、もちろん私もそのうちの一人です。
しばらく踊っていると、横にいる若い女子グループがコチラを意識していることが分かりました。私も素面(しらふ)ではなかなかできませんが、アルコールが入っていたためか、彼女たちの中で最もかわいい子に近付きハイタッチ♪
そうしたら、なんと彼女が私の手を握って来るではありませんか
こんなこと、今までにはないことです。
もう嬉しくて舞い上がっちゃいました
そうのちチークダンスに変わり、私は彼女の背中に手を当てて抱くような形で踊り、こんな絶世の美女と密着していることが信じられない思いでした。
数曲踊り、それぞれ自席に戻るのですが、私は彼女と手をつないで仲間が待つテーブルへ。
誇らしかったですね。こんな美女をナンパして連れてきたのですから。
ここで逃してはならぬと思い、彼女の電話番号を聞き出します。当時、私のアパートには電話がなかったので、こちらは職場の電話番号を教えました。
数日後、彼女から電話がかかってきました♪ 嬉しかったですねぇ~![]()
そして二人だけで再会することになったのです。場所は鶴見ということでした。
翌週の日曜日、私は約束の時間に鶴見駅で降り、待ち合わせ場所の改札口そばの柱の陰へ行ったのですが、あの彼女が見あたりません。
しかし、よくよく見ると、美女の代わりに、彼女たちのグループにいた地味な女の子が立っているのでした。
≪なんで…? なんで美女の〇〇さんがいなくて、興味のないこっちの子がいるんだろう…≫
この待ち合わせ場所と時間は、彼女と私だけが知っているはずなのに……。〇〇さんは、どうしたんだろう……。
そんな疑問を口に出すと、
「彼女は向こうで待っています」と地味女。
なんだかよく分からないまま、彼女のあとをついて商店街を歩いていきます。やがて、あるビルの前に到着。ドアの向こうには2階に続く階段がありました。
彼女に促されるまま登ると、背後でカチャリという音が聞こえたのですが、そのときはあまり気にもしていませんでした。それより、美女に再会できることに舞い上がっていたのです。
≪2階は何があるのだろうか…? 待っているのは酒池肉林か…?≫
な~んていうバカな空想を抱いていたのですが、部屋に入って
ビックリ~!
広い部屋にパイプ椅子が並び、そこには大勢の若者たちが座っていました。彼らの前方にはガラス製のショーケースが置かれています。
≪何なんだ、これは!? なんで〇〇さんはいないんだ?≫
なんだか事態は急転換していったようでした。私は地味女に押されて空いている席に座らされてしまいました。
やがて若者たちの中から一人の男性が前に出てきて、スピーチを始めました。話の内容は、「自分がこのグループに入ってから、今まで消極的だった性格が積極的になり、現在は充実している、グループ活動に感謝するしかない」と、大体そんな内容だったと思います。
その後も、何人かが入れ替わり立ち替わり前に出てきて、同じようなことを喋っていました。
やがて、参加者は1対1の対面形式での話し合いになりました。相手はグループの先輩格の女性です。もう話の内容は詳しく覚えていないのですが、今までのスピーチを聞いてどう思ったか、大体そんなことだったと思います。
私は上の空で彼女の話を聴きながらも、〇〇さんを目で探し続けていたのですが、まったく確認できません。
1対1の時間が終わると、再び若者たちのスピーチが始まりました。その背後にあるショーケースの中には、自動車用の装飾品みたいな商品が並べられていました。そんな物を眺めながら若い女性のスピーチを聞いていると、その品物のことを喋っているではないですか。話の内容は自己変革から商品に移っていたのです。
≪これはヤバイぞっ! マルチ商法じゃないかっ! こんなのに引っかかっちゃったんだ…≫
マルチ商法というのは……Wikipediaによると、
明らかにマルチ商法の勧誘がメインであるのに、その事前告知をせずに勧誘するケースが多い。
街コン・合コン・ナンパ等で仲良くなってから切り出すので初対面で判断するのは難しい。
おおまかな流れとして
①お茶会・BBQ・運動サークルに誘う。
②仲良くなり師匠的人物を紹介する。
③自己啓発本を読ませつつ師匠的人物と2対1で口説く。
④セミナーに参加させ契約させる。
当時はインターネットなんかない時代です。私が持っていたのは新聞記事で得た情報くらいでしたが、この会場がマルチ商法の勧誘場所であること、美女の〇〇さんは私のようなボンクラ男を吊り上げるための疑似餌であることに気がつきました。
そこで私は勇気を振り絞って席を立ちあがり、地味女の制止も振り切って階段を下りていくと、彼女も追いかけてきたのです。しかし、そんなのはお構いなしでドアを開けようとしたら、なんと! 鍵がかかっているではないですか!
そうなんですね、入るときに背後でカチャリと音がしたのは、鍵をける音だったのです。でもこれは内側からは簡単に開けられる鍵だったのでサッと外に出て駅方向へ向かいました。地味女は後ろから「×〇(私の名前)さ~ん! 待ってくださ~い」と叫びながら追いかけてきましたが…。
あの晩、パブで絶世の美女をひっかけたと思っていたのですが、実は彼女をエサしたマルチ商法に自分が引っかかっていたのでした。本当に悔しかったですね。こんな冴えない男に美女が寄り添ってくるわけなんかないのですから。
しかし、事件はこのあとも続きます。
鶴見での騒動から1週間後、私の職場に地味女から電話がかかってきました。だいたい、なんで彼女が私の職場の電話番号を知っているのか? もちろん美女の〇〇さんが教えたに決まっています。
「この前はすみませんでした。今度は〇〇さんと3人だけでお会いしましょうよ」
ここでノコノコと出かけて行ってはダメなのは明らかです。
「もう結構です。忙しいから電話切りますね~」と言って受話器を置いたのですが、夕方、再び電話がかかってきました。
そして翌日も、その翌日も……。毎日、電話が来るようになってしまったのです。当時働いていたのは小さな事務所だったので、電話の内容は同僚や上司に丸聞こえでした。しかも、その室内でしばしば会議をやっていたりしたのですから、これはもう大迷惑![]()
そのうち、なんと地味女が私の事務所にまで現れるようになってしまいました。ヤバイヨ! ヤバイヨ!(出川風に)
こうなると職場のみんなが助けに入ってくれます。電話は取りつがない、事務所に来たら排除する、そんなことを続けているうちに、事件は次第に収束していきました。
最近は昔の地図を眺めているだけで、若いころのことを思い出します。今回の地図にある関内駅周辺では、いろいろなことがありました。
今日のお話はその当時の思い出の一つです。また機会があればトルコ風呂事件や長者橋ヤクザ事件などを書きとどめておこうかと思っています。
さて、あの鶴見事件から20数年後、久しぶりに生麦を歩いてきました。その時食べたものを、最後に載せておきます。
![]()
もう閉店してしまったようですね。
![]()
アナゴ丼とセットでついてきた三品。
![]()
柔らかくて美味しかったです♪
今日は、そろそろ自分で煮アナゴをつくろうかな…なんて思っています。
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線路と並行に流れているのが派大岡川で、現在は高速道路になっています。それと直角に交わっているのが吉田川で、埋め立てられて今は大通り公園に。
川(実態は埋め残された海)には橋がいくつも架けられていました。羽衣橋と蓬莱橋は町名からつけられたのでしょうが、豊国と権三の由来は分かりません。人名なのでしょうかね。
緑色に塗ったエリアには草のマークが描かれています。これが、いわゆる“関内牧場”の一つです。接収解除が遅れて、関内のあちこちにこうした空閑地が残っていたそうです。もしかしたら、この辺りが最後の“関内牧場”だったのかもしれません。
さて、今日のお話は赤く塗った部分、パチンコ屋の2階にあったパブでの思い出です。というか事件といった方がいいかもしれません。
冒頭に掲げた地図は昭和40年前後のものですが、事件が起きたのはそれから20年くらい後のこと。
この赤く塗った部分にパチンコ屋「ニューフレンド」がありました。その2階にあったのがパブです。たしか、店名も「ニューフレンド」だったのではないでしょうか。
あの日は、異業種の若者たちで雑誌の編集会議をしたあと、みんな(男性ばかり)でこのパブに行ったのでした。広いフロアの周りにテーブルと椅子が配置されていたと記憶しています。
今までの編集会議のことを話しながら、飲み食いして盛り上がっていると、誰かが踊りに行こうと言い出しました。席を立ちダンスフロアに向かったのは数人でしたが、もちろん私もそのうちの一人です。
しばらく踊っていると、横にいる若い女子グループがコチラを意識していることが分かりました。私も素面(しらふ)ではなかなかできませんが、アルコールが入っていたためか、彼女たちの中で最もかわいい子に近付きハイタッチ♪
そうしたら、なんと彼女が私の手を握って来るではありませんか

もう嬉しくて舞い上がっちゃいました

数曲踊り、それぞれ自席に戻るのですが、私は彼女と手をつないで仲間が待つテーブルへ。
誇らしかったですね。こんな美女をナンパして連れてきたのですから。
ここで逃してはならぬと思い、彼女の電話番号を聞き出します。当時、私のアパートには電話がなかったので、こちらは職場の電話番号を教えました。
数日後、彼女から電話がかかってきました♪ 嬉しかったですねぇ~

そして二人だけで再会することになったのです。場所は鶴見ということでした。
翌週の日曜日、私は約束の時間に鶴見駅で降り、待ち合わせ場所の改札口そばの柱の陰へ行ったのですが、あの彼女が見あたりません。
しかし、よくよく見ると、美女の代わりに、彼女たちのグループにいた地味な女の子が立っているのでした。
≪なんで…? なんで美女の〇〇さんがいなくて、興味のないこっちの子がいるんだろう…≫
この待ち合わせ場所と時間は、彼女と私だけが知っているはずなのに……。〇〇さんは、どうしたんだろう……。
そんな疑問を口に出すと、
「彼女は向こうで待っています」と地味女。
なんだかよく分からないまま、彼女のあとをついて商店街を歩いていきます。やがて、あるビルの前に到着。ドアの向こうには2階に続く階段がありました。
彼女に促されるまま登ると、背後でカチャリという音が聞こえたのですが、そのときはあまり気にもしていませんでした。それより、美女に再会できることに舞い上がっていたのです。
≪2階は何があるのだろうか…? 待っているのは酒池肉林か…?≫
な~んていうバカな空想を抱いていたのですが、部屋に入って
ビックリ~!
広い部屋にパイプ椅子が並び、そこには大勢の若者たちが座っていました。彼らの前方にはガラス製のショーケースが置かれています。
≪何なんだ、これは!? なんで〇〇さんはいないんだ?≫
なんだか事態は急転換していったようでした。私は地味女に押されて空いている席に座らされてしまいました。
やがて若者たちの中から一人の男性が前に出てきて、スピーチを始めました。話の内容は、「自分がこのグループに入ってから、今まで消極的だった性格が積極的になり、現在は充実している、グループ活動に感謝するしかない」と、大体そんな内容だったと思います。
その後も、何人かが入れ替わり立ち替わり前に出てきて、同じようなことを喋っていました。
やがて、参加者は1対1の対面形式での話し合いになりました。相手はグループの先輩格の女性です。もう話の内容は詳しく覚えていないのですが、今までのスピーチを聞いてどう思ったか、大体そんなことだったと思います。
私は上の空で彼女の話を聴きながらも、〇〇さんを目で探し続けていたのですが、まったく確認できません。
1対1の時間が終わると、再び若者たちのスピーチが始まりました。その背後にあるショーケースの中には、自動車用の装飾品みたいな商品が並べられていました。そんな物を眺めながら若い女性のスピーチを聞いていると、その品物のことを喋っているではないですか。話の内容は自己変革から商品に移っていたのです。
≪これはヤバイぞっ! マルチ商法じゃないかっ! こんなのに引っかかっちゃったんだ…≫
マルチ商法というのは……Wikipediaによると、
明らかにマルチ商法の勧誘がメインであるのに、その事前告知をせずに勧誘するケースが多い。
街コン・合コン・ナンパ等で仲良くなってから切り出すので初対面で判断するのは難しい。
おおまかな流れとして
①お茶会・BBQ・運動サークルに誘う。
②仲良くなり師匠的人物を紹介する。
③自己啓発本を読ませつつ師匠的人物と2対1で口説く。
④セミナーに参加させ契約させる。
当時はインターネットなんかない時代です。私が持っていたのは新聞記事で得た情報くらいでしたが、この会場がマルチ商法の勧誘場所であること、美女の〇〇さんは私のようなボンクラ男を吊り上げるための疑似餌であることに気がつきました。
そこで私は勇気を振り絞って席を立ちあがり、地味女の制止も振り切って階段を下りていくと、彼女も追いかけてきたのです。しかし、そんなのはお構いなしでドアを開けようとしたら、なんと! 鍵がかかっているではないですか!
そうなんですね、入るときに背後でカチャリと音がしたのは、鍵をける音だったのです。でもこれは内側からは簡単に開けられる鍵だったのでサッと外に出て駅方向へ向かいました。地味女は後ろから「×〇(私の名前)さ~ん! 待ってくださ~い」と叫びながら追いかけてきましたが…。
あの晩、パブで絶世の美女をひっかけたと思っていたのですが、実は彼女をエサしたマルチ商法に自分が引っかかっていたのでした。本当に悔しかったですね。こんな冴えない男に美女が寄り添ってくるわけなんかないのですから。
しかし、事件はこのあとも続きます。
鶴見での騒動から1週間後、私の職場に地味女から電話がかかってきました。だいたい、なんで彼女が私の職場の電話番号を知っているのか? もちろん美女の〇〇さんが教えたに決まっています。
「この前はすみませんでした。今度は〇〇さんと3人だけでお会いしましょうよ」
ここでノコノコと出かけて行ってはダメなのは明らかです。
「もう結構です。忙しいから電話切りますね~」と言って受話器を置いたのですが、夕方、再び電話がかかってきました。
そして翌日も、その翌日も……。毎日、電話が来るようになってしまったのです。当時働いていたのは小さな事務所だったので、電話の内容は同僚や上司に丸聞こえでした。しかも、その室内でしばしば会議をやっていたりしたのですから、これはもう大迷惑

そのうち、なんと地味女が私の事務所にまで現れるようになってしまいました。ヤバイヨ! ヤバイヨ!(出川風に)
こうなると職場のみんなが助けに入ってくれます。電話は取りつがない、事務所に来たら排除する、そんなことを続けているうちに、事件は次第に収束していきました。
最近は昔の地図を眺めているだけで、若いころのことを思い出します。今回の地図にある関内駅周辺では、いろいろなことがありました。
今日のお話はその当時の思い出の一つです。また機会があればトルコ風呂事件や長者橋ヤクザ事件などを書きとどめておこうかと思っています。
さて、あの鶴見事件から20数年後、久しぶりに生麦を歩いてきました。その時食べたものを、最後に載せておきます。

もう閉店してしまったようですね。

アナゴ丼とセットでついてきた三品。

柔らかくて美味しかったです♪
今日は、そろそろ自分で煮アナゴをつくろうかな…なんて思っています。
