先月、横浜開港資料館の特別資料コーナーで「カレー伝来から140年、明治5年のレシピを読む」という展示会が開催されていたが、この企画とコラボしたローズホテルのレストラン「ミリラフォーレ」で、そのレシピに基づいたカレーを再現しているというので食べに行ってきた。
ホテル玄関横に置かれたカレーライスの案内板を読むと…
明治5年(1872)に刊行された2冊の料理本『西洋料理通』と『西洋料理指南』に記載されたレシピを参考に、ローズホテル横浜総料理長・小林誠一が再現いたしました。
今回のメニューは『西洋料理通』よりマトンカレー、牛カレー、『西洋料理指南』より蛙と海鮮カレーの3種です。
ローズホテル横浜の所在地である山下町77番地付近は、幕末に設けられた外国人居留地の一画でした。
1923年の関東大震災でインド商人が打撃を受け、横浜を離れた際には、日本絹業協会が横浜市役所の融資を受け、山下町77番地にインド商人のための商館(インド屋敷)を建設し、商館の建設はインド商人たちが横浜へ戻る契機となりました。
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これは山下町25番地にあったダンハムビル(昭和8年建築)で、もともとはインド人クラブだったが、その後はブティック「赤い靴」となり、90年代半ばに取り壊されいる。
このどこかイギリスっぽいファサードが佐野元春のレコードジャケットで使われ、当時は元春ファンがここを探しあて訪ねて来るという、元祖・聖地巡礼のような存在だった。
この一帯にはダンハムビルのほかにもインド系の商社が立ち並び、一時はインド人街を形成していた。そのため現在でもインド系の名前や会社を多く見かける。近くの山下公園にあるインド水塔は、横浜とインドのつながりを今に残すモニュメントだ。
ちなみに「赤い靴」の経営者・坪山紗織さんは、ここから移転したあと日本大通りで「ギャラリー・パリス」を開設している。
さて、話をカレーに戻そう。
店頭のPR板には材料も書いてある。
生姜(みじん切り)・ニンニク(みじん切り)・長ネギ(みじん切り)・バター・小麦粉・カレー粉・ジュドサンジャック・鶏肉・蛙足・小海老・真鯛・塩
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【スープは大根・人参・ウィンナー・ベーコン入り。美味しいので期待感が高まる】
カレーの材料名で気になるのは、玉ネギではなく長ネギを使っていることと、ジュドサンジャックという何だか分からない食材である。
明治5年といえば、おそらく日本ではまだ玉ネギが栽培されていなかったのだろう。だから多分、代用品として長ネギを使ったに違いない。
分からないのはジュドサンジャックだ。なんとなくフランス語っぽいので、その文字の間に「・」を入れてみると、ジュ・ド・サン・ジャックとなる。
調べてみると、これはホタテの出汁のことだった。
これで材料がすべて分かったのだが、今度はサン・ジャックがなぜホタテなのか気になってきた。
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【カレーのお供。左から玉ネギ揚げ、ピクルス、チャツネ、潰したゆで卵】
サン・ジャックというのは人名で聖ヤコブを意味する。彼はキリストの弟子としてスペインで宣教したのちエルサレムに戻り、最後はヘロデによって処刑されてしまう。
その遺骸をスペインまで運んだ船にホタテがびっしりと張り付いていたことから、ホタテがヤコブを表象するようになったと言われているが、ほかにも諸説あるらしい。
ヤコブの墓が発見されて聖地となったスペイン北西部の町サンティアゴ・デ・コンポステーラ。ここへ巡礼する人々がホタテの貝殻を食器代わりに使っていたため、これがヤコブのシンボルになったという言い伝えもある。
いずれにしても西洋料理の世界では、サンジャックといえばホタテなのだ。
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【そして、お目当ての140年前カレー。ライスで土手を作っている。】
さて、明治5年のカレーの材料はこれですべて分かったが、次はその作り方である。
原典である『西洋料理指南』から引用しよう。
カレーの製法は葱一茎生姜半箇蒜少許を細末にし牛酪大一匙を以て煎り水一合五勺を加へ鶏海老鯛蠣赤蛙等のものを入れて能く煮後にカレーの粉小一匙を入煮る――熟したるとき塩に加へ又小麦粉大匙二つを水に溶きて入るべし
長ネギ、生姜、ニンニクのみじん切りをバターで炒め、そこに水(1合半)を加えて鶏肉、エビ、鯛、カキ、カエルを入れてよく煮込む。その後カレー粉を入れてさらに煮込み、最後に塩と小麦粉を入れる、というのが当時のレシピだ。
NHK ゆうどきネットワーク
「ミリラフォーレ」のカレーではカキが入っていなかったが、その代わりホタテの出汁を使っている。やはり『西洋料理指南』のレシピどおりでは旨みが出てこないということなのかな…。
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【カレールーは皿に盛られている他にポットにも少し入っていた。】
さて、肝心のお味であるが…
これって、どうなのかなぁ…
現代人の口からすれば、どうもキレとコクが感じられない。
とくに辛いもの好きな人には、物足りないのではないだろうか。
でも、140年まえの日本人にとっては、これが立派な洋食だったんだよね。
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蛙の肉って、その食感と味わいはかなり鶏肉に近い。しかし似ているとはいえ、すでに鶏肉が入っているのに、なぜわざわざ蛙の足まで入れたのだろうか。
それはおそらく、日本へのカレー伝来の経緯にかかわっているようだ。
カレーというのはもともとインドで食べられていた料理である。そのインドを植民地としたイギリスがカレーを自国に持ち帰り、小麦粉でとろみをつけて英国式カレーとした。
やがて日本の開国と同時に、多くのイギリス人が開港場・横浜にやってきた。当然、彼らは居留地でも自国と同じようにカレーを食べていたはずだが、それを作っていたのはたぶん、料理人や通訳として一緒に来浜した中国人だったのではないだろうか。中華料理では蛙を使ったメニューもよくあるし、鶏肉と蛙肉は味も食感も似ているということもあって、中国人コックがこのレシピを考えついたのではないか。
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食べ終える直前の状態。ここに至るまで、かなりカレーを節約しながら食べてきたのだが、結局最後にはカレーが少し足りない事態に。
カレーライスというのは、つくづく食べ方が難しい料理だと思う。自分としては、最後にご飯とカレーが同時に無くなるのが理想なのだが、ご飯の上にカレーを盛られて出てくると、カレーの下はどうなっているのか分からないため、どうも食べにくい。
カレーの下にライスはあるのか、ないのか。あるとすれば、全面にライスが敷かれているか、部分的なのか、そしてその厚みは…。
だから私は、カレーとライスが完全分離して出されるのが好き。
ところで、上の写真にあるとおり、このカレーライスは140年前の食べ方を踏襲して、フォークでいただく。
スプーンと違って隙間があるけれど、食べるには何ら問題はない。
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食後のコーヒー。
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この企画は5月31日までだったのだが、好評のため8月31日まで延長になったそうだ。
あと2種類、マトンカレーとチキンカレーが残っているけれど、もういいや。
次にここで食べるとしたら、通常のランチにしたい。
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ホテル玄関横に置かれたカレーライスの案内板を読むと…
明治5年(1872)に刊行された2冊の料理本『西洋料理通』と『西洋料理指南』に記載されたレシピを参考に、ローズホテル横浜総料理長・小林誠一が再現いたしました。
今回のメニューは『西洋料理通』よりマトンカレー、牛カレー、『西洋料理指南』より蛙と海鮮カレーの3種です。
ローズホテル横浜の所在地である山下町77番地付近は、幕末に設けられた外国人居留地の一画でした。
1923年の関東大震災でインド商人が打撃を受け、横浜を離れた際には、日本絹業協会が横浜市役所の融資を受け、山下町77番地にインド商人のための商館(インド屋敷)を建設し、商館の建設はインド商人たちが横浜へ戻る契機となりました。

これは山下町25番地にあったダンハムビル(昭和8年建築)で、もともとはインド人クラブだったが、その後はブティック「赤い靴」となり、90年代半ばに取り壊されいる。
このどこかイギリスっぽいファサードが佐野元春のレコードジャケットで使われ、当時は元春ファンがここを探しあて訪ねて来るという、元祖・聖地巡礼のような存在だった。
この一帯にはダンハムビルのほかにもインド系の商社が立ち並び、一時はインド人街を形成していた。そのため現在でもインド系の名前や会社を多く見かける。近くの山下公園にあるインド水塔は、横浜とインドのつながりを今に残すモニュメントだ。
ちなみに「赤い靴」の経営者・坪山紗織さんは、ここから移転したあと日本大通りで「ギャラリー・パリス」を開設している。
さて、話をカレーに戻そう。
店頭のPR板には材料も書いてある。
生姜(みじん切り)・ニンニク(みじん切り)・長ネギ(みじん切り)・バター・小麦粉・カレー粉・ジュドサンジャック・鶏肉・蛙足・小海老・真鯛・塩

【スープは大根・人参・ウィンナー・ベーコン入り。美味しいので期待感が高まる】
カレーの材料名で気になるのは、玉ネギではなく長ネギを使っていることと、ジュドサンジャックという何だか分からない食材である。
明治5年といえば、おそらく日本ではまだ玉ネギが栽培されていなかったのだろう。だから多分、代用品として長ネギを使ったに違いない。
分からないのはジュドサンジャックだ。なんとなくフランス語っぽいので、その文字の間に「・」を入れてみると、ジュ・ド・サン・ジャックとなる。
調べてみると、これはホタテの出汁のことだった。
これで材料がすべて分かったのだが、今度はサン・ジャックがなぜホタテなのか気になってきた。

【カレーのお供。左から玉ネギ揚げ、ピクルス、チャツネ、潰したゆで卵】
サン・ジャックというのは人名で聖ヤコブを意味する。彼はキリストの弟子としてスペインで宣教したのちエルサレムに戻り、最後はヘロデによって処刑されてしまう。
その遺骸をスペインまで運んだ船にホタテがびっしりと張り付いていたことから、ホタテがヤコブを表象するようになったと言われているが、ほかにも諸説あるらしい。
ヤコブの墓が発見されて聖地となったスペイン北西部の町サンティアゴ・デ・コンポステーラ。ここへ巡礼する人々がホタテの貝殻を食器代わりに使っていたため、これがヤコブのシンボルになったという言い伝えもある。
いずれにしても西洋料理の世界では、サンジャックといえばホタテなのだ。

【そして、お目当ての140年前カレー。ライスで土手を作っている。】
さて、明治5年のカレーの材料はこれですべて分かったが、次はその作り方である。
原典である『西洋料理指南』から引用しよう。
カレーの製法は葱一茎生姜半箇蒜少許を細末にし牛酪大一匙を以て煎り水一合五勺を加へ鶏海老鯛蠣赤蛙等のものを入れて能く煮後にカレーの粉小一匙を入煮る――熟したるとき塩に加へ又小麦粉大匙二つを水に溶きて入るべし
長ネギ、生姜、ニンニクのみじん切りをバターで炒め、そこに水(1合半)を加えて鶏肉、エビ、鯛、カキ、カエルを入れてよく煮込む。その後カレー粉を入れてさらに煮込み、最後に塩と小麦粉を入れる、というのが当時のレシピだ。
NHK ゆうどきネットワーク
「ミリラフォーレ」のカレーではカキが入っていなかったが、その代わりホタテの出汁を使っている。やはり『西洋料理指南』のレシピどおりでは旨みが出てこないということなのかな…。

【カレールーは皿に盛られている他にポットにも少し入っていた。】
さて、肝心のお味であるが…
これって、どうなのかなぁ…
現代人の口からすれば、どうもキレとコクが感じられない。
とくに辛いもの好きな人には、物足りないのではないだろうか。
でも、140年まえの日本人にとっては、これが立派な洋食だったんだよね。

蛙の肉って、その食感と味わいはかなり鶏肉に近い。しかし似ているとはいえ、すでに鶏肉が入っているのに、なぜわざわざ蛙の足まで入れたのだろうか。
それはおそらく、日本へのカレー伝来の経緯にかかわっているようだ。
カレーというのはもともとインドで食べられていた料理である。そのインドを植民地としたイギリスがカレーを自国に持ち帰り、小麦粉でとろみをつけて英国式カレーとした。
やがて日本の開国と同時に、多くのイギリス人が開港場・横浜にやってきた。当然、彼らは居留地でも自国と同じようにカレーを食べていたはずだが、それを作っていたのはたぶん、料理人や通訳として一緒に来浜した中国人だったのではないだろうか。中華料理では蛙を使ったメニューもよくあるし、鶏肉と蛙肉は味も食感も似ているということもあって、中国人コックがこのレシピを考えついたのではないか。

食べ終える直前の状態。ここに至るまで、かなりカレーを節約しながら食べてきたのだが、結局最後にはカレーが少し足りない事態に。
カレーライスというのは、つくづく食べ方が難しい料理だと思う。自分としては、最後にご飯とカレーが同時に無くなるのが理想なのだが、ご飯の上にカレーを盛られて出てくると、カレーの下はどうなっているのか分からないため、どうも食べにくい。
カレーの下にライスはあるのか、ないのか。あるとすれば、全面にライスが敷かれているか、部分的なのか、そしてその厚みは…。
だから私は、カレーとライスが完全分離して出されるのが好き。
ところで、上の写真にあるとおり、このカレーライスは140年前の食べ方を踏襲して、フォークでいただく。
スプーンと違って隙間があるけれど、食べるには何ら問題はない。

食後のコーヒー。

この企画は5月31日までだったのだが、好評のため8月31日まで延長になったそうだ。
あと2種類、マトンカレーとチキンカレーが残っているけれど、もういいや。
次にここで食べるとしたら、通常のランチにしたい。
