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Channel: 中華街ランチ探偵団「酔華」
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3月10日は「さんとー」で三塔の日

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 3月10日は何の日でしょうか。
 
 いろいろありますが、最も知られているのは東京大空襲の日かな。
 1945(昭和20)年3月10日の深夜、アメリカ軍のB29爆撃機から落とされた焼夷弾によって東京は火の海となり、死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、大変な被害を受けたのでした。

 他に語呂合わせでこんなのもあります。
 3(ミ)10(ト)で水戸の日。
 3(サ)10(ド)で佐渡の日。

 さらに3(サン)10(トウ)で横浜三塔の日。

 ということで、お役所では例によってこんなイベントを企画していますが、私としては少し違った観点から三塔を眺めてみたいと思います。

 当ブログは食い物系の記事をメインとしていますので、今回は食堂に着目してみました。


 横浜税関(クイーン)。昭和9年の建築です。

 建物の建設にあたって次のような秘話が税関のホームページに掲載されています。

 関東大震災(大正12年)で税関庁舎も倒壊。その後、財政窮乏の続いた時代に、税関の仕事は平屋のバラック建で行われていた。そんな折り、時の大蔵大臣高橋是清が「失業者救済のため土木事業を起こすべき…」との発言。

 昭和7年第22代税関長に就任した金子隆三は、この意を受け失業者救済をかねて三代目税関庁舎(現庁舎)建設に着手し、急ピッチで建設が進められた。この時、“神奈川県庁(高さ49m)”と“横浜開港記念会館(高さ36m)”が港ヨコハマの高層建築物であった。

 塔の高さ47mの税関庁舎の当初の設計図を見た金子税関長は「日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき…」と言及。設計図が書き直され、当初より4m高い現庁舎“横浜税関(高さ51m)”が完成した。

 しかし、本当の話は「国の機関が県庁よりも低いというのはけしからん」ということだったようです。


 食堂は海側の出入り口から入ってすぐ左側にあります。
 


 完全禁煙。

 でも、営業時間が2時間しかないのが、ちょっと…。


 いろいろなメディアでここが紹介されているようですね。



 ランチ定食の他に、かけそば・うどん・カレー・ラーメンなども。



 利用方法が掲示されているので、初めての方でも安心して食べられます。



 サンプル。

 A定食は麻婆茄子で、私がチケットを買ってすぐに完売となったようです。


 これで500円。

 中華街のランチには負けそうですが、ご飯はさすがに美味しい!


 カウンターからの眺め。

 以前の食堂は5階だったか6階だったか忘れましたが、かなり上の方にあって景色が抜群だったのを覚えています。


 定食は日替わりです。


 ところで、横浜税関って、どこが正面なのでしょうか。

 海岸通りに面した部分に大きな玄関があるので、そこが建物の正面だと思うかもしれませんが、実はこっちなんですよね。




 海側から見るとこんな感じ。塔を中心にして左右対称になっています。

 港に入って来た船からの眺めを考えて、このようなデザインにしたのでしょう。


 続いて県庁です。税関よりも古い昭和3年の建築。

 新庁舎や分庁舎に食堂があることはよく知られていますが、本庁舎の方は建物が古いということもあって、こんなところには無いはずと思っている人も多いでしょう。


 庁舎案内板。

 6階には展望台もあります。


 そして地下に食堂が。



 薄暗い迷宮のような廊下をグルグルと回っていくと、突然、灯りの漏れる部屋が現れます。

 ここが県庁本庁舎の食堂。


 基本的に蕎麦屋です。
 


 この日注文したのは「かき揚げ蕎麦と稲荷寿司1個」。蕎麦が360円、稲荷寿司が50円です。

 いきなり食べ始めてしまい、しばらくして写真を撮っていないことに気づきました。
 なので、こんな姿に……。

 かき揚げには2種類あって、私が食べたのはイカゲソ・人参・玉葱・鶏肉・桜えび・ちくわ入り。
 もう一種類は野菜かき揚げで、春菊・人参・玉葱・桜えび入りです。

 ほかにエビ天、イカ天も。



 食堂の入り口に、こんなチラシが置いてありました。

 なんだかいい感じですね。


 でも、残念ながら3月末で閉店です。



 新庁舎12階の食堂。



 カフェテリア・シーガルっていうんだね。



 さすがに眺望は抜群!

 一旦は横浜税関に抜かれた「高さ」ですが、新庁舎で抜き返したというところでしょうか。


 大盛り無料!

 地産地消で地域活性化!

 さすが県庁。


 営業時間も税関より一時間も長い!


 最後は開港記念会館です。


 県庁よりも古く、大正6年(1917)の建築。
 しかし、それから6年後の大正12年、関東大震災で被災。躯体は残ったものの、ドームや内部が焼失してしまったため、昭和2年に修復されています。

 三塔の中で一番古いのですが、残念ながら現在は食堂がありません。
 
 しかし、かつては立派な食堂が存在していたのです。


 これは「横浜市開港記念会館保存修理工事報告書」に載っている昔の写真。

 そこには食堂が写っています。


 資料編には創建当時の図面も。

 見にくいので拡大してみましょう。


 2階に食堂があったことが分かります。

 ここは今、大きな会議室になっています。


 さらに2階の奥には小さな食堂も。

 貿易商組合が入っていたので、もしかしたら彼らの食堂だったのかもしれませんね。


 大正6年の竣工当時の食堂。



 昭和2年に改修したときの食堂。

 県庁や税関よりもずっと素敵な食堂があったのでした。

 
 お時間のある方は、こちらの記事もどうぞ。

新・三塔物語

税関ランチ

 

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