もう10年くらい前のことになるが、作治さんと一緒に関内の老舗バー「パリ」に初めて入った。
店内は背の高いカウンターとソファ。
でも、ソファは使ってはならず、お客さんはスタンディングで飲むのがルールだったようだ。
バーテンは着物を着た女将さん。あとから調べると、この方は創業者の奥さんで、ご主人が亡くなったあと店を引き継いでカウンター内に入っているとのことだった。
その日、私たちが注文したのは薬草カクテル。
しばらくすると小さなスリバチ、スリコギ、薬草を渡された。
ここの薬草カクテルは、お客が自分で作るのだった。
二人してこれでもかというくらいゴリゴリ擂って渡す。
それを彼女がシェークしカクテルが出来上がった。
お客は我々二人だけ。
バーテンとの会話なし。
BGMなし。
…シーン。
私と作治さんのボソボソとした話し声だけが店内に響く。
こういう雰囲気って苦手なんだよね。深刻な話や個人情報満載の話はできないからね。
この日は薬草カクテル1杯で店を出た。
支払いは一人6,000円。
その後、女将さんも亡くなりしばらく閉店していたが、最近は後継者がバーを再開していると聞く。
そろそろ飲み直しに行ってみるかな。
ところで、関内で有名なバーといえば、この「パリ」のほかに「ホースネック」という店もあった。
店名の由来は、《馬の首のように細長い店だから》と記憶している。
ここは作家や詩人、音楽関係者が多く集まる、文化サロンで、お客の誰もが、焼酎をジンジャエールで割ったカクテル風の酒・ホースネックを飲んでいた。
私が初めて店に連れて行かれたのは社会人1年目のこと。
以来4,5回飲みに行ったのだが、それから間もなく閉店になってしまった。
その後、創業者の子息が経営する小料理屋「三春」(中区常盤町)でホースネックが出ていることを知り、たびたびこちらを利用するようになったが、そこも一昨年閉店し、64年間続いてきた名物カクテルの歴史の幕が閉じられた。
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
店内は背の高いカウンターとソファ。
でも、ソファは使ってはならず、お客さんはスタンディングで飲むのがルールだったようだ。
バーテンは着物を着た女将さん。あとから調べると、この方は創業者の奥さんで、ご主人が亡くなったあと店を引き継いでカウンター内に入っているとのことだった。
その日、私たちが注文したのは薬草カクテル。
しばらくすると小さなスリバチ、スリコギ、薬草を渡された。
ここの薬草カクテルは、お客が自分で作るのだった。
二人してこれでもかというくらいゴリゴリ擂って渡す。
それを彼女がシェークしカクテルが出来上がった。
お客は我々二人だけ。
バーテンとの会話なし。
BGMなし。
…シーン。
私と作治さんのボソボソとした話し声だけが店内に響く。
こういう雰囲気って苦手なんだよね。深刻な話や個人情報満載の話はできないからね。
この日は薬草カクテル1杯で店を出た。
支払いは一人6,000円。
その後、女将さんも亡くなりしばらく閉店していたが、最近は後継者がバーを再開していると聞く。
そろそろ飲み直しに行ってみるかな。
ところで、関内で有名なバーといえば、この「パリ」のほかに「ホースネック」という店もあった。
店名の由来は、《馬の首のように細長い店だから》と記憶している。
ここは作家や詩人、音楽関係者が多く集まる、文化サロンで、お客の誰もが、焼酎をジンジャエールで割ったカクテル風の酒・ホースネックを飲んでいた。
私が初めて店に連れて行かれたのは社会人1年目のこと。
以来4,5回飲みに行ったのだが、それから間もなく閉店になってしまった。
その後、創業者の子息が経営する小料理屋「三春」(中区常盤町)でホースネックが出ていることを知り、たびたびこちらを利用するようになったが、そこも一昨年閉店し、64年間続いてきた名物カクテルの歴史の幕が閉じられた。
