今ではメタボが原因で山とは縁遠くなってしまった私だが、若いころは社会人の山岳会に所属して、初夏と冬の合宿には必ず参加していた。
今日のお話しは、そんな中の一つ。
あれは1990年頃だったろうか。ゴールデンウイークを利用して朝日連峰へ行った。
5月とはいえ東北の山は、まだまだ雪が深い。私たちは冬山の完全装備をして出かけた。
GW中の朝日連峰がどのような状態なのか、残念ながら山中の写真を撮っていなかったので画像としてお伝えできないのだが、他の方のブログにこんな写真が掲載されていたので、参考のためリンクしておく。
その年の目的は雪上訓練ということで、古寺キャンプ場をBCにして、そこから毎日、朝日連峰に登って滑落防止訓練などを行い、その日のうちにBCまで戻る、そういう日程であった。
初日は主峰朝日岳までの往復。もちろん途中ではシリセード(尻制動)や滑落した際の止め方などを学んだ。
2日目は西朝日岳から竜門山を経てBCに戻るというルートだった。
![]()
![]()
この日もいろいろな訓練をしながら昼ごろ竜門山に到着。避難小屋でお湯を沸かし、おにぎりを頬張りながらラーメンをすする。冷えた身体が一気に温まり、極楽極楽〜となった。
酒でも飲んで、このまま寝てしまいたい気分であったが、まだ下りでの訓練が待っている。そういうわけにはいかず、13時ころ下山を開始した。
天気は良いし、登りと同じルートを下るのでみんな気楽な雰囲気であった。
やがて急斜面のある分岐点らしき所に出た。エッジ部分はかなり広い雪原で、その先は何もない。ここが下降点のはず。
ところがリーダーが赤旗を指しながらこんなことを言うのだった。
「これは雪庇だぜ。あの旗は危険を知らせているんだ。近づくなってね」
![]()
「踏み跡を見てみな。旗の方向へは全くないのに、ここから直線で続く方へ多数の踏み跡があるだろ。こっちが正しいルートのはずだ」
経験豊富なリーダーの言うことに異議を唱える者はいなかった。私も踏み跡を辿りながら安心していた。
30分以上歩いたころ、踏み跡は2つに分かれた。ここで少し躊躇したのだが、「たぶんこの先で一緒になるんだろう」なんて言いながら、我々は数の多い右側を選んで下って行った。
ヤブ漕ぎすることさらに30分。突然、目の前からルートが消えた。
前方は急峻な崖で、真下には川が流れていたのである。
「これは失敗したな。さっきの左側の方が正しいルートだったのかも。あそこまで登り返してそっちを行ってみよう」
また、リーダーが提案した。
こうなってくると、私だけではなく一部のメンバーは不安に駆られだす。ヤブの茂った斜面を重たい気持ちで喘ぎながら登る。
やがて先ほどの二股に到着。この時点で私は疲労困憊していたのだが、急かされるように左側の踏み跡ルートを下るしかなかった。
しかし、こちらでもさっきと同じ局面を迎える。ヤブだらけの崖が待ち構えていたのであった。
そこでまたリーダーが提案する。
「この崖を下って川沿いに下山する」
熊笹に足を滑らせながら急斜面を下って行くと、途中から絶壁が現れた。川に降りることはできない。
万事休す。最早これまでだ。
既にこの時点で日は暮れかかっており、谷合なのでなお一層薄暗くなっていた。
誰かがポツリと言った。
「最初の赤旗を見た所が下山ルートの分岐点だったんじゃねぇの。あれは危険を示す旗ではなく、正しい道を教える目印だったんだ…」
みんなも、そう思い始めていた。
運の悪いことに雨まで降りだしてきた。これはもうビバークしかない。
ヤブだらけの急斜面を登り返し、雨を避けられる場所を探す。
雪は湿ってズブズブになってきた。こんな所では寝られない。
やっと見つけたのは、樹林帯の中にある一本の大木。根元の周囲は雪が固まっていて、寝るには都合のいい状態になっていた。
困ったのは夕食だ。持って来たおにぎりやパンは食い尽くしていた。残っているのはインスタントラーメンが1袋だけだった。
これを分かち合うしかない。さっそくお湯を沸かし、ラーメンを投入。5人ですすった。
それから間もなくして雨はあがったのだが、とにかく寒い!
日帰りを予定していたからテントもツェルトもBCに置いたままだ。
ザックの中のものを全部出して、その中に足を入れてシートに転がって眠る。
が、寒さと飢えのため、数分で目が覚めてしまう。
時間はまだ19時。これから明け方まで、長い長い恐怖の一夜を過ごすことになるとは思ってもみなかった。
21時ころ、真っ暗闇の中から何とも言えぬ臭いが漂ってきた。動物園の猛獣舎で嗅ぐ、あのニオイ!
「狐かな?狸だろか?」
「いやっ、熊じゃねぇの!?」
みんなピッケルやストックを胸の前で構える。ニオイが消えるまで、ずっとこの態勢を崩せなかった。
おそらく、あれは熊だったのだろう。
こうなると眠るどころではない。山岳会でいちばんの豪傑を名乗っていたエヌ氏は、恐怖を紛らわせるためか大声で何曲も歌い踊っていた。
そんな中で、岩登りの得意なエム氏だけは、大きないびきをかいて爆睡していたのが印象に残っている。谷川岳あたりの岩場で座ったまま寝ているヤツだから、こんなのはへっちゃらな状況だったのだろう。
夜も更けると、気温はどんどん下がってきた。寝袋もテントもない雪中ビバークでは、寒さがひとしお身に染みる。
口を開けるのも面倒になってきて、誰も喋らなくなってきた2時ころ、突然、エヌ氏が素っ頓狂な声をあげた。
「なんだべ、あの灯りは」
真の暗闇で、数十メートル先さえ見えない状態だったのだが、遥か彼方にオレンジ色の灯りが点々と燈っているのが確認できた。
おそらくこの先には深い谷があり、対岸には大きな山塊があるはず。灯りはその山肌に等間隔でいくつも並んでいた。
![]()
N:「あんな光、さっきまでなかったべ」
S:「急に現れたよな」
B:「何だろう…? 登山者の懐中電灯かな」
M:「それにしちゃヘンだぞ。全然、動かないじゃねぇか」
B:「いや、手で持っているんじゃなくて、ヘッドライトかも」
Y:「それにしたって前に進んでない……」
N:「提灯か?」
M:「何のためにあるんだ」
N:「登山道によく吊ってあるじゃないか」
Y:「こんな山奥の登山道に提灯なんかぶら下げるかッ!」
B:「何だろう…」
全員:「気味悪いなぁ…」
これは幻覚ではない。
リーダーも、さっきまで爆睡していたエム氏も、そして私も実際にこの目で見ているのだ。みんなで確認し合ったから間違いない。
2万5千分の1の地図を取り出し、現在地から見える方面を割り出す。
明らかに何もないエリアなのである。
やがて空が白んでくると、対岸の山肌も薄ぼんやりと見えるようになってきた。
気味の悪い灯りはもう消えている。双眼鏡で眺めても、まったくなにもない山塊だ。
そこには、全山、樹木で覆われた人跡未踏の地が広がっているだけであった。
あれは何だったのか…。
狐に化かされたのか
それとも狐の嫁入りだったのか…
GWになると毎年思い出す5人ですすった一杯のラーメンと怖い話。
![]()
最終日、BCから下って民宿に入る。雨に濡れたシュラフやテントなどを乾かす。
![]()
今回の訓練を振り返りながら、毎日登った朝日連峰を眺める。
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
今日のお話しは、そんな中の一つ。
あれは1990年頃だったろうか。ゴールデンウイークを利用して朝日連峰へ行った。
5月とはいえ東北の山は、まだまだ雪が深い。私たちは冬山の完全装備をして出かけた。
GW中の朝日連峰がどのような状態なのか、残念ながら山中の写真を撮っていなかったので画像としてお伝えできないのだが、他の方のブログにこんな写真が掲載されていたので、参考のためリンクしておく。
その年の目的は雪上訓練ということで、古寺キャンプ場をBCにして、そこから毎日、朝日連峰に登って滑落防止訓練などを行い、その日のうちにBCまで戻る、そういう日程であった。
初日は主峰朝日岳までの往復。もちろん途中ではシリセード(尻制動)や滑落した際の止め方などを学んだ。
2日目は西朝日岳から竜門山を経てBCに戻るというルートだった。


この日もいろいろな訓練をしながら昼ごろ竜門山に到着。避難小屋でお湯を沸かし、おにぎりを頬張りながらラーメンをすする。冷えた身体が一気に温まり、極楽極楽〜となった。
酒でも飲んで、このまま寝てしまいたい気分であったが、まだ下りでの訓練が待っている。そういうわけにはいかず、13時ころ下山を開始した。
天気は良いし、登りと同じルートを下るのでみんな気楽な雰囲気であった。
やがて急斜面のある分岐点らしき所に出た。エッジ部分はかなり広い雪原で、その先は何もない。ここが下降点のはず。
ところがリーダーが赤旗を指しながらこんなことを言うのだった。
「これは雪庇だぜ。あの旗は危険を知らせているんだ。近づくなってね」

「踏み跡を見てみな。旗の方向へは全くないのに、ここから直線で続く方へ多数の踏み跡があるだろ。こっちが正しいルートのはずだ」
経験豊富なリーダーの言うことに異議を唱える者はいなかった。私も踏み跡を辿りながら安心していた。
30分以上歩いたころ、踏み跡は2つに分かれた。ここで少し躊躇したのだが、「たぶんこの先で一緒になるんだろう」なんて言いながら、我々は数の多い右側を選んで下って行った。
ヤブ漕ぎすることさらに30分。突然、目の前からルートが消えた。
前方は急峻な崖で、真下には川が流れていたのである。
「これは失敗したな。さっきの左側の方が正しいルートだったのかも。あそこまで登り返してそっちを行ってみよう」
また、リーダーが提案した。
こうなってくると、私だけではなく一部のメンバーは不安に駆られだす。ヤブの茂った斜面を重たい気持ちで喘ぎながら登る。
やがて先ほどの二股に到着。この時点で私は疲労困憊していたのだが、急かされるように左側の踏み跡ルートを下るしかなかった。
しかし、こちらでもさっきと同じ局面を迎える。ヤブだらけの崖が待ち構えていたのであった。
そこでまたリーダーが提案する。
「この崖を下って川沿いに下山する」
熊笹に足を滑らせながら急斜面を下って行くと、途中から絶壁が現れた。川に降りることはできない。
万事休す。最早これまでだ。
既にこの時点で日は暮れかかっており、谷合なのでなお一層薄暗くなっていた。
誰かがポツリと言った。
「最初の赤旗を見た所が下山ルートの分岐点だったんじゃねぇの。あれは危険を示す旗ではなく、正しい道を教える目印だったんだ…」
みんなも、そう思い始めていた。
運の悪いことに雨まで降りだしてきた。これはもうビバークしかない。
ヤブだらけの急斜面を登り返し、雨を避けられる場所を探す。
雪は湿ってズブズブになってきた。こんな所では寝られない。
やっと見つけたのは、樹林帯の中にある一本の大木。根元の周囲は雪が固まっていて、寝るには都合のいい状態になっていた。
困ったのは夕食だ。持って来たおにぎりやパンは食い尽くしていた。残っているのはインスタントラーメンが1袋だけだった。
これを分かち合うしかない。さっそくお湯を沸かし、ラーメンを投入。5人ですすった。
それから間もなくして雨はあがったのだが、とにかく寒い!
日帰りを予定していたからテントもツェルトもBCに置いたままだ。
ザックの中のものを全部出して、その中に足を入れてシートに転がって眠る。
が、寒さと飢えのため、数分で目が覚めてしまう。
時間はまだ19時。これから明け方まで、長い長い恐怖の一夜を過ごすことになるとは思ってもみなかった。
21時ころ、真っ暗闇の中から何とも言えぬ臭いが漂ってきた。動物園の猛獣舎で嗅ぐ、あのニオイ!
「狐かな?狸だろか?」
「いやっ、熊じゃねぇの!?」
みんなピッケルやストックを胸の前で構える。ニオイが消えるまで、ずっとこの態勢を崩せなかった。
おそらく、あれは熊だったのだろう。
こうなると眠るどころではない。山岳会でいちばんの豪傑を名乗っていたエヌ氏は、恐怖を紛らわせるためか大声で何曲も歌い踊っていた。
そんな中で、岩登りの得意なエム氏だけは、大きないびきをかいて爆睡していたのが印象に残っている。谷川岳あたりの岩場で座ったまま寝ているヤツだから、こんなのはへっちゃらな状況だったのだろう。
夜も更けると、気温はどんどん下がってきた。寝袋もテントもない雪中ビバークでは、寒さがひとしお身に染みる。
口を開けるのも面倒になってきて、誰も喋らなくなってきた2時ころ、突然、エヌ氏が素っ頓狂な声をあげた。
「なんだべ、あの灯りは」
真の暗闇で、数十メートル先さえ見えない状態だったのだが、遥か彼方にオレンジ色の灯りが点々と燈っているのが確認できた。
おそらくこの先には深い谷があり、対岸には大きな山塊があるはず。灯りはその山肌に等間隔でいくつも並んでいた。

N:「あんな光、さっきまでなかったべ」
S:「急に現れたよな」
B:「何だろう…? 登山者の懐中電灯かな」
M:「それにしちゃヘンだぞ。全然、動かないじゃねぇか」
B:「いや、手で持っているんじゃなくて、ヘッドライトかも」
Y:「それにしたって前に進んでない……」
N:「提灯か?」
M:「何のためにあるんだ」
N:「登山道によく吊ってあるじゃないか」
Y:「こんな山奥の登山道に提灯なんかぶら下げるかッ!」
B:「何だろう…」
全員:「気味悪いなぁ…」
これは幻覚ではない。
リーダーも、さっきまで爆睡していたエム氏も、そして私も実際にこの目で見ているのだ。みんなで確認し合ったから間違いない。
2万5千分の1の地図を取り出し、現在地から見える方面を割り出す。
明らかに何もないエリアなのである。
やがて空が白んでくると、対岸の山肌も薄ぼんやりと見えるようになってきた。
気味の悪い灯りはもう消えている。双眼鏡で眺めても、まったくなにもない山塊だ。
そこには、全山、樹木で覆われた人跡未踏の地が広がっているだけであった。
あれは何だったのか…。
狐に化かされたのか
それとも狐の嫁入りだったのか…
GWになると毎年思い出す5人ですすった一杯のラーメンと怖い話。

最終日、BCから下って民宿に入る。雨に濡れたシュラフやテントなどを乾かす。

今回の訓練を振り返りながら、毎日登った朝日連峰を眺める。
