中華街で食事をしたあとトイレに行きたくなって洗手亭に向かうと、こんな光景が!
トイレの周囲にはトラロープが張り巡らされ、毎日ここで寝泊まりしていた女性と、あの大量の荷物が消えていたのです。
入口の傍には、現場の状況を撮影する市役所職員が2名。
おそらく任務完了後の記録写真を撮っていたのでしょう。
彼女と荷物がどうなったのか聞きたかったのですが、話が長くなりそうだったので先にトイレで用をたし、すっきりして出てきたら彼らはいなくなっていました。
たぶん女性と荷物を排除したと思われるのですが、詳しい事情を聞くチャンスを逃してしまい残念なことに。
こんなことなら、グルグルするお腹を押さえ、我慢してでも職員さんに話をしてみるべきでした。
![]()
ちょっと前までは、こんな光景が毎日見られたのです。
雨の日や寒い日は厳しかったと思います。
庇があるとはいえ、吹きさらしですから、雨や雪で衣服が濡れるでしょうし、なによりも寒くて仕方なかったと思います。
![]()
ですから厳寒の2月には、トイレ屋内に段ボールを敷いて寝ていました。
ここなら風雨を凌げますからね。
私がそんなホームレスの彼女と知り合ったのは昨年の2月、寒い日の晩でした。
場所は昭和シェル山下町ビルの軒先。
その前にも大量の荷物を運びながら、関内を移動している姿を目撃していたのですが、言葉を交わすのはその日が初めてだったのです。
あまりにも寒そうだったので、私はすぐそばのコンビニで買ったワンカップを差し入れし、一緒に飲みながらここに至った事情を聞きだそうとしました。
でも、彼女は話をはぐらかして、まともに答えてはくれません。
しばらくするとビルの守衛さんが「ここで寝ては困る」と注意しにきました。
業務上だからなのかもしれませんが、そんなことを言っていましたが、なんとなく寛容な人で、「まあ、今日は寒いから寝ててもいいけど、明日は社員が早くから出勤してくるからね、6時には出ていってくれ」と。
それを機に、私も彼女と別れ家路についたのですが…
翌日からは彼女のことが気になって仕方ありません。
ランチの前や後に、あの大荷物を探して歩くことも度々でした。
![]()
しばらくして見つけたのが、ここ。
今は「中華街大飯店」が入っていますが、この時は空き店舗で、野宿するには絶好の場所だったのです。
再会したといっても友人でもなんでもないので、声をかけたら「あんた、なに?」などと素っ気ない返事しか返ってきません。
こういう時は、やはりワンカップですね。
一杯呑みながら話をします。
そのうちに打ち解けてきて、いろいろと語ってくれるようになりました。
私:あなたのお名前は、なんていうの?
女:日本じゃ有名な名前よ。
私:ええ~、分かんないなぁ、もしかして安倍?
女:そんなわけないわよ。
私:全然わかんないなぁ~、じゃぁ、徳川?
女:そう、よく分かったわね。
もちろん本当のことなのかどうか、分かりません。
安倍は長州の末裔、徳川は最後の幕府。単にその対比だけで出鱈目に名前を言ってみただけなのですがね…
私:食べるものあるの?
徳川:あるわよ、ほら。
そう言って彼女がつまみ上げたのはお菓子の袋でした。
私:でも、それはデザートでしょ。
徳川:毎朝、うちの人がお寿司を10人前、持って来てくれるのよ。
私:へぇ~、そんなたくさんじゃ食べきれないでしょ。
徳川:そんなことないわよ。たいした量じゃないし。
どうやら妄想のようですね。
ほかにもいろいろ話を聞きました。
彼女はフランス人と中国人の混血なんだそうです。
路上生活をしていますが、テレビだって持っていると言います。
どれがテレビなの?と聞いたら、「これよ!」と誇らしげに指し示したのはデスクトップパソコンのスクリーンでした。
私:機械があっても電気がないと映らないでしょ。
女:そうよ。でも、ほら、ここにコンセントがあるでしょ。
彼女が指さす方を見ると、ビルの壁に設置されたコンセントが!
でも、このスクリーンはパソコン用なので、番組が見られるわけはないのですけどね。
その後、ここも新店舗ができるというので追い出され、再び大荷物を抱えての放浪が始まります。
基本的にはこの街から出ていくことはなく、狭い範囲で移動しているようでした。
![]()
そして、安住の場所として見つけたのが、この洗手亭だったのです。
徳川さんは着道楽のようで、トランクの中にたくさんの衣料や靴が入っています。
こう見えても、彼女は季節にあった衣服に着替えているのです。
![]()
さらに、驚いたのはこれらの本!
どうやらトランクの中は洋服だけではなく、書籍がたくさん入っているような感じもします。
こういうのを読んでいるですねぇ。
趣味は読書だけではなく創作活動も。
![]()
なにか小説でも書いているのでしょうか。
これを撮影した日には登場人物の名前や経歴などをメモしていました。
どんな話なのか聞いてみたい気もします。
さて、この1年数か月、私はずっと徳川さんを見てきましたが、彼女が健康で文化的な最低限度の生活ができるよう、いろいろな提案もしてきました。
私:このすぐ近くに区役所、市役所があるでしょ。生活の相談を受けているから行ってみたらどう?
徳川:なにっ! ダメ!!!! あいつらはドロボーだ!
私:そんなことないよ、生活保護とか受けられるから…
徳川:うるさい! あの人たちは私の財産を狙っているんだから。
私:そんなことないよ。
徳川:ダメ、ダメ、ダメヨ~ン(こんな言い方ではないけど)
行政に対しては相当な不信感があるようでした。
ここまで意固地になるのは、以前なにかあったのでしょうかね、役所との間に。
その後、私は福祉事務所に行く機会があったので、そこで徳川さんの話をしたのですが、「福祉といっても、こちらから発掘し拾い上げることはできないのです。あくまでも申請主義なのです」と杓子定規な返事でした。
![]()
今日、あの洗手亭を追い出された徳川さん。
いったい何処に行ったのでしょうか。
これからゴールデンウィークを迎える横浜中華街です。こうしてホームレスを追い出してきれいにしたのはいいのですが、彼女とあの大荷物はどこか場所を変えただけなのではないでしょうか。
根本的な解決にはなっていないと思います。
![]()
このロープも迷惑だけどね。
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
トイレの周囲にはトラロープが張り巡らされ、毎日ここで寝泊まりしていた女性と、あの大量の荷物が消えていたのです。
入口の傍には、現場の状況を撮影する市役所職員が2名。
おそらく任務完了後の記録写真を撮っていたのでしょう。
彼女と荷物がどうなったのか聞きたかったのですが、話が長くなりそうだったので先にトイレで用をたし、すっきりして出てきたら彼らはいなくなっていました。
たぶん女性と荷物を排除したと思われるのですが、詳しい事情を聞くチャンスを逃してしまい残念なことに。
こんなことなら、グルグルするお腹を押さえ、我慢してでも職員さんに話をしてみるべきでした。

ちょっと前までは、こんな光景が毎日見られたのです。
雨の日や寒い日は厳しかったと思います。
庇があるとはいえ、吹きさらしですから、雨や雪で衣服が濡れるでしょうし、なによりも寒くて仕方なかったと思います。

ですから厳寒の2月には、トイレ屋内に段ボールを敷いて寝ていました。
ここなら風雨を凌げますからね。
私がそんなホームレスの彼女と知り合ったのは昨年の2月、寒い日の晩でした。
場所は昭和シェル山下町ビルの軒先。
その前にも大量の荷物を運びながら、関内を移動している姿を目撃していたのですが、言葉を交わすのはその日が初めてだったのです。
あまりにも寒そうだったので、私はすぐそばのコンビニで買ったワンカップを差し入れし、一緒に飲みながらここに至った事情を聞きだそうとしました。
でも、彼女は話をはぐらかして、まともに答えてはくれません。
しばらくするとビルの守衛さんが「ここで寝ては困る」と注意しにきました。
業務上だからなのかもしれませんが、そんなことを言っていましたが、なんとなく寛容な人で、「まあ、今日は寒いから寝ててもいいけど、明日は社員が早くから出勤してくるからね、6時には出ていってくれ」と。
それを機に、私も彼女と別れ家路についたのですが…
翌日からは彼女のことが気になって仕方ありません。
ランチの前や後に、あの大荷物を探して歩くことも度々でした。

しばらくして見つけたのが、ここ。
今は「中華街大飯店」が入っていますが、この時は空き店舗で、野宿するには絶好の場所だったのです。
再会したといっても友人でもなんでもないので、声をかけたら「あんた、なに?」などと素っ気ない返事しか返ってきません。
こういう時は、やはりワンカップですね。
一杯呑みながら話をします。
そのうちに打ち解けてきて、いろいろと語ってくれるようになりました。
私:あなたのお名前は、なんていうの?
女:日本じゃ有名な名前よ。
私:ええ~、分かんないなぁ、もしかして安倍?
女:そんなわけないわよ。
私:全然わかんないなぁ~、じゃぁ、徳川?
女:そう、よく分かったわね。
もちろん本当のことなのかどうか、分かりません。
安倍は長州の末裔、徳川は最後の幕府。単にその対比だけで出鱈目に名前を言ってみただけなのですがね…
私:食べるものあるの?
徳川:あるわよ、ほら。
そう言って彼女がつまみ上げたのはお菓子の袋でした。
私:でも、それはデザートでしょ。
徳川:毎朝、うちの人がお寿司を10人前、持って来てくれるのよ。
私:へぇ~、そんなたくさんじゃ食べきれないでしょ。
徳川:そんなことないわよ。たいした量じゃないし。
どうやら妄想のようですね。
ほかにもいろいろ話を聞きました。
彼女はフランス人と中国人の混血なんだそうです。
路上生活をしていますが、テレビだって持っていると言います。
どれがテレビなの?と聞いたら、「これよ!」と誇らしげに指し示したのはデスクトップパソコンのスクリーンでした。
私:機械があっても電気がないと映らないでしょ。
女:そうよ。でも、ほら、ここにコンセントがあるでしょ。
彼女が指さす方を見ると、ビルの壁に設置されたコンセントが!
でも、このスクリーンはパソコン用なので、番組が見られるわけはないのですけどね。
その後、ここも新店舗ができるというので追い出され、再び大荷物を抱えての放浪が始まります。
基本的にはこの街から出ていくことはなく、狭い範囲で移動しているようでした。

そして、安住の場所として見つけたのが、この洗手亭だったのです。
徳川さんは着道楽のようで、トランクの中にたくさんの衣料や靴が入っています。
こう見えても、彼女は季節にあった衣服に着替えているのです。

さらに、驚いたのはこれらの本!
どうやらトランクの中は洋服だけではなく、書籍がたくさん入っているような感じもします。
こういうのを読んでいるですねぇ。
趣味は読書だけではなく創作活動も。

なにか小説でも書いているのでしょうか。
これを撮影した日には登場人物の名前や経歴などをメモしていました。
どんな話なのか聞いてみたい気もします。
さて、この1年数か月、私はずっと徳川さんを見てきましたが、彼女が健康で文化的な最低限度の生活ができるよう、いろいろな提案もしてきました。
私:このすぐ近くに区役所、市役所があるでしょ。生活の相談を受けているから行ってみたらどう?
徳川:なにっ! ダメ!!!! あいつらはドロボーだ!
私:そんなことないよ、生活保護とか受けられるから…
徳川:うるさい! あの人たちは私の財産を狙っているんだから。
私:そんなことないよ。
徳川:ダメ、ダメ、ダメヨ~ン(こんな言い方ではないけど)
行政に対しては相当な不信感があるようでした。
ここまで意固地になるのは、以前なにかあったのでしょうかね、役所との間に。
その後、私は福祉事務所に行く機会があったので、そこで徳川さんの話をしたのですが、「福祉といっても、こちらから発掘し拾い上げることはできないのです。あくまでも申請主義なのです」と杓子定規な返事でした。

今日、あの洗手亭を追い出された徳川さん。
いったい何処に行ったのでしょうか。
これからゴールデンウィークを迎える横浜中華街です。こうしてホームレスを追い出してきれいにしたのはいいのですが、彼女とあの大荷物はどこか場所を変えただけなのではないでしょうか。
根本的な解決にはなっていないと思います。

このロープも迷惑だけどね。
