前の記事で書いたように、先月の中旬、「人形の家」の中にある「赤い靴劇場」でちょっとだけ演奏して歌を歌ってきた。
もちろんプログラムの中には童謡「赤い靴」も入れてある。聴衆は高齢者が多かったので、みなさん懐かしそうに歌っていた。
公演は1時間半くらいで終了したのだが、我々にとっては時間が悪い。なんだって4時前なのだから、打ち上げができる居酒屋なんて開いているわけがない。
そこで中華街なら近いし、この時間でも営業している店は多いだろうということで、「一楽」に電話を入れたら2階が空いているとのこと。
メンバー10数名を引き連れて、お店の階段を昇ることになった。
女性たちはこのあと帰宅したら、夕食を作って食べるというので、ここでは控えめに…
まずは「よだれ鶏」(冒頭の写真)。
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そしてピータン豆腐。
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炭火焼き叉焼。
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ホタルイカ。
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巻き揚げ。
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辛くない方の麻婆豆腐。
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サービスでいただいた「ほにゃらら…」。(名前を忘れた)
そのほかに焼きそばも食べたかな。
打ち上げでの話題は童謡「赤い靴」が主だった。
なにげなく歌ったり演奏したりしているけれど、いろいろ調べてみるとたくさんの謎が浮かび上がってくるのだ。
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山下公園にある「赤い靴はいてた女の子像」。
形は違うが、全国に7か所も銅像ができているとか。最近ではサンディエゴにもできたという。
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野口雨情の作詞だが、これには実在の少女がいて、彼女と母親がモデルになっているというのが定説である。
しかし、それを否定する人も。『捏造 はいてなかった赤い靴』を出版している阿井渉介さんだ。
はたして、その真実は。
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3番の歌い方にも謎がある。
♪い~までは 青い目に なっちゃって
こんな歌い方をしているでしょ。
でも、本居長世の自筆作曲では、
♪いまで~は 青い目に なっちゃって
というふうに歌うのが原作だという。
「今」という単語を分断しないで歌うのが本来の姿らしい。
いったい、いつから変化したのか。
もっと謎なのは、この童謡がいつ作られ、最初に公演されたのはいつ・どこで…ということだ。
先に歌詞ができて、あとから曲が付けられる、それが順番で、定説では大正10年12月に童謡「赤い靴」が作られたとなっている。
楽譜ピースが出版されたのは大正12年1月。
そして横浜で最初に公演されたのは、大正12年7月1日、開港記念会館の舞台であった。
実は大正11年9月にも本居長世・みどり親子が来て開港記念会館で演奏会を開いているのだが、その時のプログラムに「青い目の人形」は載っているのに「赤い靴」は出ていない。どちらも大正10年12月に作曲されたことになっているのに…
横浜に来て「赤い靴」を歌わないのは、どう考えてもおかしい。
ということは、この曲が作られたのは大正12年なのか…
もしそうだとすると、大正12年7月1日に横浜で歌ったのが、「赤い靴」初公演だったのかもしれない。
謎だなぁ…
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
もちろんプログラムの中には童謡「赤い靴」も入れてある。聴衆は高齢者が多かったので、みなさん懐かしそうに歌っていた。
公演は1時間半くらいで終了したのだが、我々にとっては時間が悪い。なんだって4時前なのだから、打ち上げができる居酒屋なんて開いているわけがない。
そこで中華街なら近いし、この時間でも営業している店は多いだろうということで、「一楽」に電話を入れたら2階が空いているとのこと。
メンバー10数名を引き連れて、お店の階段を昇ることになった。
女性たちはこのあと帰宅したら、夕食を作って食べるというので、ここでは控えめに…
まずは「よだれ鶏」(冒頭の写真)。

そしてピータン豆腐。

炭火焼き叉焼。

ホタルイカ。

巻き揚げ。

辛くない方の麻婆豆腐。

サービスでいただいた「ほにゃらら…」。(名前を忘れた)
そのほかに焼きそばも食べたかな。
打ち上げでの話題は童謡「赤い靴」が主だった。
なにげなく歌ったり演奏したりしているけれど、いろいろ調べてみるとたくさんの謎が浮かび上がってくるのだ。

山下公園にある「赤い靴はいてた女の子像」。
形は違うが、全国に7か所も銅像ができているとか。最近ではサンディエゴにもできたという。

野口雨情の作詞だが、これには実在の少女がいて、彼女と母親がモデルになっているというのが定説である。
しかし、それを否定する人も。『捏造 はいてなかった赤い靴』を出版している阿井渉介さんだ。
はたして、その真実は。

3番の歌い方にも謎がある。
♪い~までは 青い目に なっちゃって
こんな歌い方をしているでしょ。
でも、本居長世の自筆作曲では、
♪いまで~は 青い目に なっちゃって
というふうに歌うのが原作だという。
「今」という単語を分断しないで歌うのが本来の姿らしい。
いったい、いつから変化したのか。
もっと謎なのは、この童謡がいつ作られ、最初に公演されたのはいつ・どこで…ということだ。
先に歌詞ができて、あとから曲が付けられる、それが順番で、定説では大正10年12月に童謡「赤い靴」が作られたとなっている。
楽譜ピースが出版されたのは大正12年1月。
そして横浜で最初に公演されたのは、大正12年7月1日、開港記念会館の舞台であった。
実は大正11年9月にも本居長世・みどり親子が来て開港記念会館で演奏会を開いているのだが、その時のプログラムに「青い目の人形」は載っているのに「赤い靴」は出ていない。どちらも大正10年12月に作曲されたことになっているのに…
横浜に来て「赤い靴」を歌わないのは、どう考えてもおかしい。
ということは、この曲が作られたのは大正12年なのか…
もしそうだとすると、大正12年7月1日に横浜で歌ったのが、「赤い靴」初公演だったのかもしれない。
謎だなぁ…
