先月のことだが、「一楽」でランチを食べていたらマダムから、『今度の土曜日にNHKでジャズのFM公開生放送があるわよ』との情報をいただいた。
当日のタイムスケジュールと出演者のリストをいただき、忘れなければ行ってみることにした。
最近は老化のせいか記憶力がかなり低下してきているので、手帳にしっかりと書きとめておかなければならないのだが、その手帳を開くことも忘れてしまったりするけどね…
幸いにもこの日はちゃんと覚えていて、15時前に会場へたどり着いた。
中に入ると今田勝、向井滋春らが演奏中だった。
このジャズライブは単なる生放送ではなく、「横浜から届けよう、ジャズの元気2015」という名のもとで東日本大震災被災地を応援する番組。
NHKのFM放送で宮城、岩手、福島と神奈川の各県域にも生で流れた。
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会場でもらったチラシ。
月曜~金曜の夕方6時から生放送している「横浜サウンドクルーズ」だが、毎月第4水曜日は公開生放送なんだね。
覚えていたら行ってみようか。
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チラシの他にこんなものも貰った。
「NHKウイークリー ステラ」
この号は特別編集版で≪まれ≫紀行が組まれている。
撮影現場がどこなのか、そんなことが書いてあるのかと思って開いてみたが、横浜の有名どころスポットを紹介しているだけだった。
残念。
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ドラマを観ていて分かるのは、市場通りがよく出てくること。
「まれ」が住んでいるのは中国料理店「天中殺」の上という設定になっている。
その店があるのが、市場通りと香港路を結ぶ極細路地「台南小路」なのだ。
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実際にはこんな店は存在していないよ。
これはセットだけど、店のファサードはどこかにモデルがあったのではないかな。
そう思って町の風景を思いめぐらすと…
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これだ。
2年ほど前に閉店した「頂好」。
台南小路の端にあった。
ロケハンした人たちがこの店構えを写真に撮っていたのではないだろうか、そう思えるのだが…。
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「まれ」の撮影現場は中華街や山手だけではなく、こちらも使われたようだ。
ケーキの「ありあけ」。
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どの場面だったのかな。
あるいは、これから登場するのか。
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ところで、「ありあけ」が入っているマンションは日本大通36番地にあるのだが、この場所、かつての住所は居留地183番だった。
当時は町名がなく、居留地**番というふうにしていたのだが、明治12年、この一帯には加賀町、薩摩町、尾張町などというように、日本各地の地名を使った町名が付けられた。
そして居留地が撤廃された明治32年、これらの町名も廃止され一括して山下町に変更された。
そのとき、どのように新しい番地を付けたかというと、居留地時代の番地をそのまま転用したのだ。
だから現代の山下町の番地は、居留地時代の名残を背負っているわけだね。
その後、昭和3年に境町・山下町の一部から日本大通という町名を新設。
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このとき日本大通に組み込まれた山下町の一部の番地が消滅した。
今、山下町の番地は1番から連番できれいに並んでいるのだが、170番台から180番台にかけての番地がないのは、そういう理由だったのである。
王・長嶋の背番号が永久欠番になったように、山下町ではこの番地が永久欠番となった。
ところで、地下鉄関内駅のホームの番号も、1番線と3番線が欠番になっているのご存知?
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
当日のタイムスケジュールと出演者のリストをいただき、忘れなければ行ってみることにした。
最近は老化のせいか記憶力がかなり低下してきているので、手帳にしっかりと書きとめておかなければならないのだが、その手帳を開くことも忘れてしまったりするけどね…
幸いにもこの日はちゃんと覚えていて、15時前に会場へたどり着いた。
中に入ると今田勝、向井滋春らが演奏中だった。
このジャズライブは単なる生放送ではなく、「横浜から届けよう、ジャズの元気2015」という名のもとで東日本大震災被災地を応援する番組。
NHKのFM放送で宮城、岩手、福島と神奈川の各県域にも生で流れた。

会場でもらったチラシ。
月曜~金曜の夕方6時から生放送している「横浜サウンドクルーズ」だが、毎月第4水曜日は公開生放送なんだね。
覚えていたら行ってみようか。

チラシの他にこんなものも貰った。
「NHKウイークリー ステラ」
この号は特別編集版で≪まれ≫紀行が組まれている。
撮影現場がどこなのか、そんなことが書いてあるのかと思って開いてみたが、横浜の有名どころスポットを紹介しているだけだった。
残念。

ドラマを観ていて分かるのは、市場通りがよく出てくること。
「まれ」が住んでいるのは中国料理店「天中殺」の上という設定になっている。
その店があるのが、市場通りと香港路を結ぶ極細路地「台南小路」なのだ。

実際にはこんな店は存在していないよ。
これはセットだけど、店のファサードはどこかにモデルがあったのではないかな。
そう思って町の風景を思いめぐらすと…

これだ。
2年ほど前に閉店した「頂好」。
台南小路の端にあった。
ロケハンした人たちがこの店構えを写真に撮っていたのではないだろうか、そう思えるのだが…。

「まれ」の撮影現場は中華街や山手だけではなく、こちらも使われたようだ。
ケーキの「ありあけ」。

どの場面だったのかな。
あるいは、これから登場するのか。

ところで、「ありあけ」が入っているマンションは日本大通36番地にあるのだが、この場所、かつての住所は居留地183番だった。
当時は町名がなく、居留地**番というふうにしていたのだが、明治12年、この一帯には加賀町、薩摩町、尾張町などというように、日本各地の地名を使った町名が付けられた。
そして居留地が撤廃された明治32年、これらの町名も廃止され一括して山下町に変更された。
そのとき、どのように新しい番地を付けたかというと、居留地時代の番地をそのまま転用したのだ。
だから現代の山下町の番地は、居留地時代の名残を背負っているわけだね。
その後、昭和3年に境町・山下町の一部から日本大通という町名を新設。

このとき日本大通に組み込まれた山下町の一部の番地が消滅した。
今、山下町の番地は1番から連番できれいに並んでいるのだが、170番台から180番台にかけての番地がないのは、そういう理由だったのである。
王・長嶋の背番号が永久欠番になったように、山下町ではこの番地が永久欠番となった。
ところで、地下鉄関内駅のホームの番号も、1番線と3番線が欠番になっているのご存知?
