3月11日は6年前に発生した東日本大震災の日。その11日と翌12日の2日間にわたって「三塔」のイベントが行われました。
11日には防災講演会が開催され、その第1部では「震災を乗り越えた開港記念会館」と題して、関東大震災を経験しながらも、なぜ開港記念会館の時計塔は倒壊を免れたのかを建築の観点から解き明かす講演でした。発表されたのは、平成元年に記念会館のドーム復元に携わった松田佳久氏(元 清水建設株式会社横浜支店 工事長)。
第2部では「震災の経験からの教訓」と題して、東日本大震災・熊本地震を経験した方々が、震災の経験から得た教訓や災害時の対処等をお話ししてくれました。
ところで、本来「三塔の日」というのは3月10日なのですが、最近はその直近の土曜日にイベントを開催するようになっています。さらに、今年は開港記念会館が造られて100周年ということで、二日間、連続で行われたのです。
今日は三塔のうちの一つ、横浜税関をご紹介しますね。
皆さんは税関に資料室があるのをご存じでしょうか。今年はそのリニューアルオープンの記念も兼ねていました。
まずは1階の資料展示室から。
私の好みはこういうものです。建物に貼りつく装飾たち。
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軒飾り①
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棕櫚をデザインしたもので、パルメットといいます。
建物前にあるヤシの木やイスラム風ドームといい、全体的にアラブっぽい建物ですよね。
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軒飾り②
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棕櫚はエデンの園にあった生命の木ではないかと思います。
建物が長く生きられるようにとの思いから、こういうデザインが始まったような気がしてなりません。
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大正時代の横浜税関全景。
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ふ頭内に火力発電所があったんですねぇ。
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カップ型装飾。
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もともとは照明用だったのね。
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昭和17年に起きたドイツ艦船の爆発事件。その時に撮影された写真が展示されていました。
パラパラめくるわけにはいかないので、デジタル化してスクリーンに次々と映し出されていきます。
映像からは、新港ふ頭内に最近まであった建物などを確認できました。
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事件の概要はコチラ。クリックすると拡大できます。
ウッカーマルク号だけではなく、仮装巡洋艦第10号(トオル号)をはじめ、ロイテン号、第三雲海丸などが次々と誘爆していきました。
死者はドイツ人61名、中国人36名、日本人5名。
その日本人5名のなかに、俳優・竹中直人の祖父がいたそうです。
当時、この事件に関する報道は、ほんの数行掲載されただけでした。国民にはなるべく知らせないようにしていたのでしょう。
しかし、横浜の人たちはみんな、この日のことを知っていますから、隠すわけにはいかなかったと思います。ま、そこで大変小さな記事を出したというわけかな。
この日のことを鮮明に覚えている古老に、その時の様子を聞いたことがあります。
「ものすごい轟音と真っ黒な煙がすごかったよね。ふ頭やその周辺にいた人たちがどんどん石川町方面に逃げてくる。でも、私は野次馬だからね、みんなとは反対に港へ走っていった。そうすると、人々が口々に言うんだよね。中国人が爆破したって。半信半疑だったよ。その後、それはデマだっていうことが分かったんだ。関東大震災のとき、朝鮮人が井戸に毒を入れたっていうデマが流れたでしょ。あれと同じだよね」
戦前の横浜のことをよく覚えているお爺さんでした。
まだご健在なら、もっとお話を聞いてみたいと思っています。
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さて、税関の説明によると、この事故で亡くなったドイツ将兵のうち、身元の判明した者は山手外国人墓地に、判明しない者は根岸外国人墓地に埋葬されたといいます。
上の写真は根岸外国人墓地。
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なぜ山手に全員を埋葬しなかったのでしょうかね。山手と根岸、前者は明るくて眺望もよいのに対し、後者はなんとなく暗くて眺望もありません。
区別する必要があったのでしょうかねぇ。
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ところでドイツ領事館は山下町で場所を替えて長いこと存在していました。
もともとは北仲通にあったようですが、昭和の初めの頃の地図を見ると、こんな所にありました。
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この建物は20年くらい前に撮影したウィンクレル商会の事務所ですが、まさにここが独逸領事館のあった場所です。
デザインなどの雰囲気から、戦前の領事館そのものだったのではないかと思います。現在は高層マンションが建っています。
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昭和10年、ドイツ領事館はここに入りました。旧露亜銀行ですね。現在はLOA結婚式場になっています。
話が横道に逸れてしまいました。もとに戻しましょう。
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展示物にはこんなものが付いています。
QRコードを撮影すると、各国語で案内が表示されるようですね。
英語、中国語、朝鮮語で読めるらしい。撮影禁止の博物館や資料館ではなかなか難しいと思いますが、こういう仕組みが広がってくるといいですね。
あとの展示内容は現地に行って確認してきてね。
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さて、これは7階から中庭(?)を眺めたところ。
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その7階には展望デッキがあります。
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そこからは塔が間近に眺めることができます。
ただし、塔に登ることはできません。残念です。
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大さん橋方面。
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象の鼻パーク方面。
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新港ふ頭からMM21方面。
さて、7階からの眺望を楽しんだあとは3階へ。
特別保存されている昔の部屋に入ることができます。
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旧特別会議室、旧総務部長室、旧税関長応接室、旧税関長室の4部屋。
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まずは旧特別会議室から。
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壁に架けられた大きな絵が目を引きます。
豊臣時代にキリシタン使節がイタリアを訪問した時の光景を描いています。
絵画の解説。画像をクリックすると拡大されます。
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模様や文字の説明。
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伊藤マンショ。
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使節が航海したルート。
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この絵は寺崎武男という人が1927年(昭和2年)に描いているんだね。
ということは、開港記念会館にある壁画と同じ年だ!
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会議室のテーブル。
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天井の照明。
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柱の装飾もすごいですね。
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真ん中の葉っぱのような模様はシュロをデザインしたものです。
この建物のあちこちで見ることができます。
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壁紙も凝っています。
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天井のデザインもね。
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続いて旧総務部長室。
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わりとシンプルなんですね。
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でも、さすがに調度品は凝ったものを使っていたみたい。
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続いて、旧税関長応接室。
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座り心地は満点でした。
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そして最後は旧税関長室。
75㎡もあったんですねぇ。
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終戦直後の税関といえば、GHQ連合国総司令部ですね。
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この机を使ってマッカーサーは占領計画を練っていたんでしょうか。
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こちらの照明もいい感じです。
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初代税関長 上野景範。
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第3代税関長 中島信行。
坂本竜馬の仲間だったんですね。
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第4代税関長 星亮。
24歳で税関長とは…しかも最後は暗殺されちゃって…
なんかすごい人だったようです。会ってみたかったですね。
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第8代税関長 有島武。
こちらは有名ですよね。
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税関旗。
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税関長旗。
「関」の文字をデザインしているようです。
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横浜税関は、こちらが正面です。
海岸通り側には車寄せもあって正面っぽいのですが、塔が建物の中心と考えると、こっちが正面でしょうね。
海から見ると、塔を中心にして左右対称になっていますから。
というわけで「三塔の日」の特別公開は終わりました。
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
11日には防災講演会が開催され、その第1部では「震災を乗り越えた開港記念会館」と題して、関東大震災を経験しながらも、なぜ開港記念会館の時計塔は倒壊を免れたのかを建築の観点から解き明かす講演でした。発表されたのは、平成元年に記念会館のドーム復元に携わった松田佳久氏(元 清水建設株式会社横浜支店 工事長)。
第2部では「震災の経験からの教訓」と題して、東日本大震災・熊本地震を経験した方々が、震災の経験から得た教訓や災害時の対処等をお話ししてくれました。
ところで、本来「三塔の日」というのは3月10日なのですが、最近はその直近の土曜日にイベントを開催するようになっています。さらに、今年は開港記念会館が造られて100周年ということで、二日間、連続で行われたのです。
今日は三塔のうちの一つ、横浜税関をご紹介しますね。
皆さんは税関に資料室があるのをご存じでしょうか。今年はそのリニューアルオープンの記念も兼ねていました。
まずは1階の資料展示室から。
私の好みはこういうものです。建物に貼りつく装飾たち。

軒飾り①

棕櫚をデザインしたもので、パルメットといいます。
建物前にあるヤシの木やイスラム風ドームといい、全体的にアラブっぽい建物ですよね。

軒飾り②

棕櫚はエデンの園にあった生命の木ではないかと思います。
建物が長く生きられるようにとの思いから、こういうデザインが始まったような気がしてなりません。

大正時代の横浜税関全景。

ふ頭内に火力発電所があったんですねぇ。

カップ型装飾。

もともとは照明用だったのね。

昭和17年に起きたドイツ艦船の爆発事件。その時に撮影された写真が展示されていました。
パラパラめくるわけにはいかないので、デジタル化してスクリーンに次々と映し出されていきます。
映像からは、新港ふ頭内に最近まであった建物などを確認できました。

事件の概要はコチラ。クリックすると拡大できます。
ウッカーマルク号だけではなく、仮装巡洋艦第10号(トオル号)をはじめ、ロイテン号、第三雲海丸などが次々と誘爆していきました。
死者はドイツ人61名、中国人36名、日本人5名。
その日本人5名のなかに、俳優・竹中直人の祖父がいたそうです。
当時、この事件に関する報道は、ほんの数行掲載されただけでした。国民にはなるべく知らせないようにしていたのでしょう。
しかし、横浜の人たちはみんな、この日のことを知っていますから、隠すわけにはいかなかったと思います。ま、そこで大変小さな記事を出したというわけかな。
この日のことを鮮明に覚えている古老に、その時の様子を聞いたことがあります。
「ものすごい轟音と真っ黒な煙がすごかったよね。ふ頭やその周辺にいた人たちがどんどん石川町方面に逃げてくる。でも、私は野次馬だからね、みんなとは反対に港へ走っていった。そうすると、人々が口々に言うんだよね。中国人が爆破したって。半信半疑だったよ。その後、それはデマだっていうことが分かったんだ。関東大震災のとき、朝鮮人が井戸に毒を入れたっていうデマが流れたでしょ。あれと同じだよね」
戦前の横浜のことをよく覚えているお爺さんでした。
まだご健在なら、もっとお話を聞いてみたいと思っています。

さて、税関の説明によると、この事故で亡くなったドイツ将兵のうち、身元の判明した者は山手外国人墓地に、判明しない者は根岸外国人墓地に埋葬されたといいます。
上の写真は根岸外国人墓地。

なぜ山手に全員を埋葬しなかったのでしょうかね。山手と根岸、前者は明るくて眺望もよいのに対し、後者はなんとなく暗くて眺望もありません。
区別する必要があったのでしょうかねぇ。

ところでドイツ領事館は山下町で場所を替えて長いこと存在していました。
もともとは北仲通にあったようですが、昭和の初めの頃の地図を見ると、こんな所にありました。

この建物は20年くらい前に撮影したウィンクレル商会の事務所ですが、まさにここが独逸領事館のあった場所です。
デザインなどの雰囲気から、戦前の領事館そのものだったのではないかと思います。現在は高層マンションが建っています。

昭和10年、ドイツ領事館はここに入りました。旧露亜銀行ですね。現在はLOA結婚式場になっています。
話が横道に逸れてしまいました。もとに戻しましょう。

展示物にはこんなものが付いています。
QRコードを撮影すると、各国語で案内が表示されるようですね。
英語、中国語、朝鮮語で読めるらしい。撮影禁止の博物館や資料館ではなかなか難しいと思いますが、こういう仕組みが広がってくるといいですね。
あとの展示内容は現地に行って確認してきてね。

さて、これは7階から中庭(?)を眺めたところ。

その7階には展望デッキがあります。

そこからは塔が間近に眺めることができます。
ただし、塔に登ることはできません。残念です。

大さん橋方面。

象の鼻パーク方面。

新港ふ頭からMM21方面。
さて、7階からの眺望を楽しんだあとは3階へ。
特別保存されている昔の部屋に入ることができます。

旧特別会議室、旧総務部長室、旧税関長応接室、旧税関長室の4部屋。

まずは旧特別会議室から。

壁に架けられた大きな絵が目を引きます。
豊臣時代にキリシタン使節がイタリアを訪問した時の光景を描いています。


模様や文字の説明。

伊藤マンショ。

使節が航海したルート。

この絵は寺崎武男という人が1927年(昭和2年)に描いているんだね。
ということは、開港記念会館にある壁画と同じ年だ!

会議室のテーブル。

天井の照明。

柱の装飾もすごいですね。

真ん中の葉っぱのような模様はシュロをデザインしたものです。
この建物のあちこちで見ることができます。

壁紙も凝っています。

天井のデザインもね。

続いて旧総務部長室。

わりとシンプルなんですね。

でも、さすがに調度品は凝ったものを使っていたみたい。

続いて、旧税関長応接室。

座り心地は満点でした。

そして最後は旧税関長室。
75㎡もあったんですねぇ。

終戦直後の税関といえば、GHQ連合国総司令部ですね。

この机を使ってマッカーサーは占領計画を練っていたんでしょうか。

こちらの照明もいい感じです。

初代税関長 上野景範。

第3代税関長 中島信行。
坂本竜馬の仲間だったんですね。

第4代税関長 星亮。
24歳で税関長とは…しかも最後は暗殺されちゃって…
なんかすごい人だったようです。会ってみたかったですね。

第8代税関長 有島武。
こちらは有名ですよね。

税関旗。

税関長旗。
「関」の文字をデザインしているようです。

横浜税関は、こちらが正面です。
海岸通り側には車寄せもあって正面っぽいのですが、塔が建物の中心と考えると、こっちが正面でしょうね。
海から見ると、塔を中心にして左右対称になっていますから。
というわけで「三塔の日」の特別公開は終わりました。
