小学校1年のときの同級生ケイさんから「クラス会をやるので来ませんか」という電話があったのは、秋とはいえまだまだセミがうるさく鳴いている頃だった。会場はゴールデン街の小さなお店だという。
ゴールデン街……。なんと懐かしい場所だろうか。社会人になりたての頃は、遊ぶ場所といったら野毛、本牧、渋谷、新宿ぐらいであったが、その比率は7:0:2:1ほどだったと思う。
やはり野毛の呑み屋街には私を惹きつけるものが、まだたくさん残っていたのだろう。それに対して本牧に足を向けなかったのは、怖いというイメージだけではなく、アメリカンなのが好きではない、和風が好きという当時の自分の気持ちが関係していた。
野毛の小料理屋、古い焼き鳥屋、銭湯、屋台にはさんざん通ったものだ。でも、今になって考えると、あのころの本牧を見なかったのは悔やまれる。
横浜以外で遊ぶとなると、東京しかない。なかでもしばしば行ったのが渋谷だ。東横線のガード脇とか、恋文横丁とか…。
なぜか新宿は好きになれなかった。なぜなのかな、いまだに分からない。
それでもゴールデン街周辺だけは気に入っていた。福富町の「エイトセンター」とはまた少し違った雰囲気が好きだったのだ。
そんな呑み屋街でクラス会、それも小学校1年のときの仲間とやるというのだから、即決で参加を表明したことは言うまでもない。
10月3日、いよいよその日がやってきた。湘南新宿ラインに乗って東京に向かうのも久しぶりだ。
駅前は自分が記憶している風景とはずいぶん変っていた。
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地下は、こんなだったかなぁ……(迷)
なかなか思い出せないが……
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迷子にならないよう、周辺案内で確認する。
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しばらく佇んでいたら、だんだん記憶がよみがえってきた。ここは西口地下広場。かつてべ平連や全学連が反戦フォーク集会をやっていた場所である。
機動隊はここを「道路」だと言っていたけど、ご覧のとおりここは「広場」なのだ。
その時の様子はというと、こんな感じだった。
なかなかいい歌だよね。
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小田急百貨店と新宿大ガードの間にある路地「思い出横丁」。いつから名称がが変ったのか分からないが、昔は「しょんべん横丁」といっていた。
ここは戦後のヤミ市から発展してきた呑み屋街で、公衆便所などなかったからそこらじゅうで立小便をしていたため、こんな名前がつけられてしまったのだろう。
戦後の横浜・野毛でも同じような横丁があった。風太郎がくすぶっていた「くすぶり横丁」、カストリ酒を呑ませる「カストリ横丁」、クジラの煮込みを食わせる「クジラ横丁」などだ。
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そういえば、現代の野毛にも「しょんべん横丁」というのがあった。というか、我々が勝手にそう呼んでいただけなのかもしれないが…。
場所はここだ。野毛や日の出町あたりで呑んで、桜木町駅へ向かう途中、こらえきれなくなって止むを得ず路地の陰で……なんていう酔っ払いが多かった。
横浜の横丁については、また別の機会に書いていこうと思う。
今日の話題は新宿である。10月3日といえば、ラグビーのワールドカップの真っ最中だった。
だからいたるところで外国人を見かけたが、こんな路地までかなりの観光客が入り込んでいた。
なかには店内から手招きで私を呼び込もうとする酔客も。しかし、私はこれからゴールデン街でクラス会があるんだからね、残念だけどバイバイして先に進む。
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「しょんべん横丁」を抜けると、新宿大ガードである。昭和43年(1968)、国際反戦デーの日に“新宿騒乱”が起きた場所だ。
このガードをくぐり東口に向かう。十数年ぶりに来たので、方向感覚がすっかり無くなっていて、目印となる花園神社の場所が分からない。
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やっとの思いでここまで来た。懐かしいなぁ・・この光景。
唐十郎の芝居は見たことがなかったけど、見世物小屋には
1回だけ見に来た思い出がある。
「ろくろ首」という首の長い女の人がいるというので入ったのだ。結果はなんてことない、幕の前には首と顔を隠した人が座っており、別の女の人が幕と幕の間から顔と作りものの首だけ出して上下に移動するというもの。女の人の首が伸び縮みして見えるのだが、なんだか騙されたような気がしたものだった。
そのほかにもまがい物が登場していたが、本当に身体的に不自由な人も出演していた。神社の境内でこんな興業を行っていることに疑問を感じ、その後は行かなくなったが、あのときの光景は忘れられない。
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そんな花園神社を抜けると、目指す懐かしのゴールデン街が現れた。
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小さな店がずらりと並ぶ呑み屋街だ。
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路地。ここで何人の男が立小便をしたことか、なんて勝手な想像をしてしまう。
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目指す店を探すためには、こんな地図が役に立つ。
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今晩の会場は近い。私の目の前を歩いている女性2人組。クラスメイトではない。やはりラグビーのワールドカップで訪日した外国人のようである。
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やっとクラス会の会場となるお店を見つけた。
そこは「ひしょう」という名の小さなバーである。
(つづく)
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ゴールデン街……。なんと懐かしい場所だろうか。社会人になりたての頃は、遊ぶ場所といったら野毛、本牧、渋谷、新宿ぐらいであったが、その比率は7:0:2:1ほどだったと思う。
やはり野毛の呑み屋街には私を惹きつけるものが、まだたくさん残っていたのだろう。それに対して本牧に足を向けなかったのは、怖いというイメージだけではなく、アメリカンなのが好きではない、和風が好きという当時の自分の気持ちが関係していた。
野毛の小料理屋、古い焼き鳥屋、銭湯、屋台にはさんざん通ったものだ。でも、今になって考えると、あのころの本牧を見なかったのは悔やまれる。
横浜以外で遊ぶとなると、東京しかない。なかでもしばしば行ったのが渋谷だ。東横線のガード脇とか、恋文横丁とか…。
なぜか新宿は好きになれなかった。なぜなのかな、いまだに分からない。
それでもゴールデン街周辺だけは気に入っていた。福富町の「エイトセンター」とはまた少し違った雰囲気が好きだったのだ。
そんな呑み屋街でクラス会、それも小学校1年のときの仲間とやるというのだから、即決で参加を表明したことは言うまでもない。
10月3日、いよいよその日がやってきた。湘南新宿ラインに乗って東京に向かうのも久しぶりだ。
駅前は自分が記憶している風景とはずいぶん変っていた。

地下は、こんなだったかなぁ……(迷)
なかなか思い出せないが……

迷子にならないよう、周辺案内で確認する。

しばらく佇んでいたら、だんだん記憶がよみがえってきた。ここは西口地下広場。かつてべ平連や全学連が反戦フォーク集会をやっていた場所である。
機動隊はここを「道路」だと言っていたけど、ご覧のとおりここは「広場」なのだ。
その時の様子はというと、こんな感じだった。
なかなかいい歌だよね。

小田急百貨店と新宿大ガードの間にある路地「思い出横丁」。いつから名称がが変ったのか分からないが、昔は「しょんべん横丁」といっていた。
ここは戦後のヤミ市から発展してきた呑み屋街で、公衆便所などなかったからそこらじゅうで立小便をしていたため、こんな名前がつけられてしまったのだろう。
戦後の横浜・野毛でも同じような横丁があった。風太郎がくすぶっていた「くすぶり横丁」、カストリ酒を呑ませる「カストリ横丁」、クジラの煮込みを食わせる「クジラ横丁」などだ。

そういえば、現代の野毛にも「しょんべん横丁」というのがあった。というか、我々が勝手にそう呼んでいただけなのかもしれないが…。
場所はここだ。野毛や日の出町あたりで呑んで、桜木町駅へ向かう途中、こらえきれなくなって止むを得ず路地の陰で……なんていう酔っ払いが多かった。
横浜の横丁については、また別の機会に書いていこうと思う。
今日の話題は新宿である。10月3日といえば、ラグビーのワールドカップの真っ最中だった。
だからいたるところで外国人を見かけたが、こんな路地までかなりの観光客が入り込んでいた。
なかには店内から手招きで私を呼び込もうとする酔客も。しかし、私はこれからゴールデン街でクラス会があるんだからね、残念だけどバイバイして先に進む。

「しょんべん横丁」を抜けると、新宿大ガードである。昭和43年(1968)、国際反戦デーの日に“新宿騒乱”が起きた場所だ。
このガードをくぐり東口に向かう。十数年ぶりに来たので、方向感覚がすっかり無くなっていて、目印となる花園神社の場所が分からない。

やっとの思いでここまで来た。懐かしいなぁ・・この光景。
唐十郎の芝居は見たことがなかったけど、見世物小屋には
1回だけ見に来た思い出がある。
「ろくろ首」という首の長い女の人がいるというので入ったのだ。結果はなんてことない、幕の前には首と顔を隠した人が座っており、別の女の人が幕と幕の間から顔と作りものの首だけ出して上下に移動するというもの。女の人の首が伸び縮みして見えるのだが、なんだか騙されたような気がしたものだった。
そのほかにもまがい物が登場していたが、本当に身体的に不自由な人も出演していた。神社の境内でこんな興業を行っていることに疑問を感じ、その後は行かなくなったが、あのときの光景は忘れられない。

そんな花園神社を抜けると、目指す懐かしのゴールデン街が現れた。

小さな店がずらりと並ぶ呑み屋街だ。

路地。ここで何人の男が立小便をしたことか、なんて勝手な想像をしてしまう。

目指す店を探すためには、こんな地図が役に立つ。

今晩の会場は近い。私の目の前を歩いている女性2人組。クラスメイトではない。やはりラグビーのワールドカップで訪日した外国人のようである。

やっとクラス会の会場となるお店を見つけた。
そこは「ひしょう」という名の小さなバーである。
(つづく)
