なかなか横浜中華街に行けない…
そこで昔の写真や資料を整理していたら、こんなのが出てきた。以前、神奈川県立図書館で見つけた月刊「中華街」だ。コピーの一部だけが残っていたので少し紹介しておこうかな。
まずは創刊号。昭和48年1月1日の発行である。51年ほど前に出版されていたのか。
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創刊号を飾ったのは、「私の中華街」と題して有名人が寄せたコメントだ。
渡哲也、由紀さおり、五木ひろし。
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田中真理、藤原審爾、榊ひろみ、園井啓介、左幸子。
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「中華街史実録 その1」。執筆者は福島優。
日中修好条約と書いているが、正確には日清修好条規である。
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「中華街史実録 その1」の続き。
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タウン情報とミニレポ。
この年に中華街パーキングが完成したのか。さらに歩車道の段差もこの年のことらしい。
牌楼も西門と善隣門しかなかったところに、東門と南門が建設されるという記事。この当時、中華街に入るルートとしては国鉄の石川町駅からというのがメインだったのだろうね。
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編集後記と広告。
ところで、この冊子はどこが発行していたのか。編集後記の最後を見ると株式会社エフアールとなっているが、今インターネットで検索しても全く情報が出てこない。
なんだったんだろう…
最後の広告はサテライトホテルだ。懐かしい~。
ここでカレー食べ放題のランチをよく頂いたことを思い出す。
そこで昔の写真や資料を整理していたら、こんなのが出てきた。以前、神奈川県立図書館で見つけた月刊「中華街」だ。コピーの一部だけが残っていたので少し紹介しておこうかな。
まずは創刊号。昭和48年1月1日の発行である。51年ほど前に出版されていたのか。

創刊号を飾ったのは、「私の中華街」と題して有名人が寄せたコメントだ。
渡哲也、由紀さおり、五木ひろし。

田中真理、藤原審爾、榊ひろみ、園井啓介、左幸子。

「中華街史実録 その1」。執筆者は福島優。
日中修好条約と書いているが、正確には日清修好条規である。

「中華街史実録 その1」の続き。

タウン情報とミニレポ。
この年に中華街パーキングが完成したのか。さらに歩車道の段差もこの年のことらしい。
牌楼も西門と善隣門しかなかったところに、東門と南門が建設されるという記事。この当時、中華街に入るルートとしては国鉄の石川町駅からというのがメインだったのだろうね。

編集後記と広告。
ところで、この冊子はどこが発行していたのか。編集後記の最後を見ると株式会社エフアールとなっているが、今インターネットで検索しても全く情報が出てこない。
なんだったんだろう…
最後の広告はサテライトホテルだ。懐かしい~。
ここでカレー食べ放題のランチをよく頂いたことを思い出す。