
昭和48年1月に創刊された月刊誌『中華街』。その第2号が翌月の2月に発行された。
この号から連載談話室「私と中華街」という企画が始まった。そのトップバッターは横浜市長の飛鳥田さんである。
彼が初めて中華街に足を踏み入れたのは5~6歳の頃だという。飛鳥田さんは大正4年の生まれだから、5~6歳というと大正9~10年のことだ。
左のページは談話室資料コーナーで、横浜市企画調整局企画課の話が出ている。そこには、こんなことが書いてある。
・県民ホールを建設中
・産業貿易センタービルの計画
・尾上町から本牧へ通じる地下鉄3号線
・中華街入り口付近の空地を買収し、市の開発公社を通じて200台収容の立体駐車場を建設する
・現在埋立て中の、関内から花園橋へかけての運河は、やがて「大通り公園」として整備される
(注:これは編集部の間違いだろうね)


中華街史実録② 明治中華街繁盛記
ここでの話は、主に『横浜繁盛記』から引用している。
この本はなかなか面白いのでお勧めだよ。
関西大学デジタルアーカイブに載っている。




店主登場「店に歴史あり」のコーナー。
当時、「萬珍楼」の店主はこの方だった。
「明揚」。
食べ放題をやっていたっけ。
この店が閉まったのは2006年頃だった。
