ギターの足台代わり 旧バージョン
最新作は既に掲載したように三角形になっているが、一代前の旧バージョンはこんな形をしていた。 吸盤をギターのボディーにくっつけて、湾曲した部分を左足の腿に乗せると、足台なしでもギターの位置がぴたりと決まる。 しかし、構造的の弱い部分があって、これは改良しなければならなかった。その結果が、今の三角形型である。...
View Article79年前の今日
昭和20年8月20日、当時日本領だった南樺太の真岡にソ連軍が上陸すると、真岡郵便電信局で勤務中の女性電話交換手が局内で集団自決を図り9名が死亡した。 その真岡郵便電信局の跡地がどうなっているのか、グーグルストリートビューで眺めてみると、ロシア式に変わっているが今も同じ場所に郵便局と銀行があるのが分かる。 左側が郵便局で右側が銀行だ。 今日はそんな彼女たちの命日である。...
View Article梅の木坂テラスにてホットドッグ
通称「ささかま道路」近くにある「梅の木坂テラス」。いつか行ってみようと思っていたカフェだが、なかなかその機会がなかった。そして今年の初め頃、やっと訪問することができた。 あれからだいぶ時間が経過してしまったが、記録として残しておこうと思う。 お店の周囲を囲むフェンスは、こんなふうに並ぶコンクリート製の板である。これは何だ?と気になっていたところ、数年前にその答えを見つけた。それがコレ!...
View Article真夏に鍋料理
先月のことだが、90歳を超えて一人暮らしをしている方のご自宅を訪問した。歴史好きで酒も好きという男性である。 玄関を入ると、早くも料理の匂いが。前日から作っていたという酒肴もあったが、今まさに仕上げ中というのが、これだ。 クーラーが壊れているため、扇風機がフル回転しているなかで、この熱い鍋料理をいただくことになった。...
View Article小学生が作ったババロア
近所に住む小学生が作ったババロアを持ってきてくれた。いつだったか、泣きながら我が家のインターフォンをピンポンした女の子だ。 もしかしたら、あのときのお礼なのかもしれない。3時のおやつとして食べさせてもらったが、なかなか美味しかった ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
View Articleトイレ
シーサイドラインに乗って並木に行ったときのこと。暑くて水を飲み過ぎたせいか、急にトイレに駆け込むことに。 この駅のトイレにはこんな便器が1個あるだけ。 大も小も兼用だ。 さらに、男女兼用。 しかも、なんだか分かりにくいトイレだね。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
View Article杉田の「愛知屋小林商店」で角打ち
吉田類の「酒場放浪記」でも取り上げられた「愛知屋小林商店」。むかし、杉田には角打ちのできる酒店が何軒かあったのだが、いま残っているのはここだけみたいだ。 この日はビールと缶酎ハイをそれぞれ1本ずつ。ツマミは生姜だ。 ビールを呑むとトイレが近くなるんだよね。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
View Article横須賀の夜
昨年の秋、横須賀芸術劇場でコンサートがあるということで出かけてきた。数年ぶりでドブ板を歩いたが、あまり感じるものはなかった。 そのとき、手前で見かけた風景である。すごい絶壁だ。 ここは水路の跡じゃないのかな。 コンサートのあと、どこに行ったのか忘れてしまったが、こちらの写真は今年の「お太幸」での呑み会。 横須賀で練習をしたあとに行った。 酒肴はいつもの奴。 いつもの旨い激辛手羽揚げ。...
View Articleスパゲッティ2種
これは7月につくった紫蘇のスパゲッティ。市販の和風パスタソースに生の紫蘇の葉を合えてみた。具が何もないのがイマイチだが、酒の友としてはこれでもOK 美味しさ75点。 こちらは8月につくったバジルソース味のスパゲッティ。今回はいろいろな具を加えてみたが、茄子は合わないな。 美味しさ85点。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
View Articleウナギ うなぎ 鰻
今年の夏は毎月、鰻を食べることができた。これは7月に買ってきたもの。 ご飯は無しで酒のツマミとしていただいた。旨し。 そして翌8月はネットで取り寄せた冷凍鰻。テレビで観て知った鰻の食べ方を参考にして、火を入れてみた。 もともと塗られているタレを洗い流し、凸凹にしたアルミフォイルの上に乗せて添付のタレをつけて少しだけ焼いた。 旨し。...
View Article「辣」
書棚を整理していたら昔、横浜中華街にあった料理店のパンフが出てきた。これは懐かしい、「辣」だ。西門通りと福建路が交わる角地に2004年、華々しくオープンした麻婆豆腐の店。スタイリッシュな外観や店内が印象的だつた。...
View Article「新新茶房」
書棚を整理していたら昔のパンフが出てきたシリーズその2。今日ご紹介するのは、かつて長安道にあった「新新茶房」。 ここはネギソバが美味しい店だった。ランチや夕食でときどき利用していたが、いつだったか閉店してしまい、現在、そのあとにはブティック&カフェ「楊貴妃」が入っている。 <参考> 元祖ネギソバの「新新茶房」は今......
View Article「嶺南」
南門通りにあった店である。自分のブログを検索しても訪問記録が出てこない。ブログを始める前にホームページを作っていたので記録はそちらに載せていると思うのだが、現在、ホームページは消してしまったためリンクすることができない。 ここで何を食べたのか、思い出せない。何だったのかなぁ~。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
View Article豊明楼
中華街大通りにあった「豊明楼」。 私がブログを始めたころには閉店していたのかな。当ブログでは扱っていないが、かつて運営していたホームページには掲載していたので、その時のデータを載せておくね。 これは、通り別に見たランチの価格、メニュー、ほかについてくるものを一覧表にしている。 「豊明楼」は大通りの「一楽」の左隣にあった。 2005年7月22日に食べた「豊明楼」のランチである。...
View Article月刊「中華街」
なかなか横浜中華街に行けない… そこで昔の写真や資料を整理していたら、こんなのが出てきた。以前、神奈川県立図書館で見つけた月刊「中華街」だ。コピーの一部だけが残っていたので少し紹介しておこうかな。 まずは創刊号。昭和48年1月1日の発行である。51年ほど前に出版されていたのか。 ←クリックして拡大 創刊号を飾ったのは、「私の中華街」と題して有名人が寄せたコメントだ。...
View Article月刊『中華街』昭和48年2月号から
←クリックして拡大 昭和48年1月に創刊された月刊誌『中華街』。その第2号が翌月の2月に発行された。 この号から連載談話室「私と中華街」という企画が始まった。そのトップバッターは横浜市長の飛鳥田さんである。 彼が初めて中華街に足を踏み入れたのは5~6歳の頃だという。飛鳥田さんは大正4年の生まれだから、5~6歳というと大正9~10年のことだ。...
View Article月刊『中華街』昭和48年3月号から
←クリックして拡大 月刊『中華街』の昭和48年3月号からその一部をご紹介。これは創刊第3号だった。 表紙をめくると、いきなり大きな広告が現れた。サウナ「バンバ」である。写真を見ると「ウィンドジャマー」の上階にあったようだが、私にはまったく記憶がない。というか、この時代、ほとんど足を踏み入れていなかったからね。ここには女性マッサージ師がいたんだね。どんなサウナだったんだろうか。...
View Article月刊『中華街』昭和48年4月号から
←クリックして拡大 昭和48年4月号の月刊「中華街」。3月25日に東門の建設が着工されたという記事が出た。完成は4月下旬だという。 記事によると、「中華街を囲む3方に楼門ができることになる」としている。この時点ではまだ北門ができていないのだ。 左ページには「ミニ・レポ」。ここに大さん橋と山下公園の間の岸壁でクラゲを獲っているという記事が出ているが、実はこの海域では牡蠣も採取できるのだ。...
View Article月刊『中華街』昭和48年5月号から
月刊『中華街』。昭和48年5月号から一部抜粋したもの。 これは連載・「中華街史実録⑤ 横浜中華街の盛衰」 ←クリックして拡大 「金陵」の主人、簡蘇梅さんにインタビューしてまとめた記事で、中華街の盛衰を簡単にまとめている。 簡さんが来日したのは関東大震災の直後だというが、本当なのかな……。中華街の建物は煉瓦造りだったため壊滅状態だったはず。どこか郊外の町にでも入ったのか……。...
View Article月刊『中華街』昭和48年8月号から
昭和48年8月号には、中華街にやって来る紙芝居の話が出ていた。このおじさん(滝沢さん)は週2回、山下町公園に来ていたそうだ。 念のため『市民グラフ‣ヨコハマ」を調べてみたら、昭和47年(1972)12月号で「語り続けて35年・滝沢喜代之助さんの紙芝居人生」という記事があった。 月刊『中華街』はこれを参考にして書いていたのではないだろうか。 ←クリックして拡大...
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