2日目。
遠野の朝はきれいに晴れ渡り、雪景色が眩しい。
そこにバスが到着した。
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神奈川大学東北ボランティア駅伝の一行だ。
学生や卒業生たちが、駅伝のように次々と入れ替わってやって来るという。
神奈川県民として頼もしく思う。
この日の私のボランティア先は釜石市内の仮設住宅。
釜石線で1時間ほどかかる。しかも、下車駅からさらに30分ほど歩かなければいけないので、7時半頃宿舎を出発する。
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8時45分、最寄駅の釜石線「小佐野」駅に到着。
ここから仮設住宅まで、延々と歩いて行く。
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20分ほどで仮設住宅が現れた。
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震災前は新日鉄釜石のグラウンドだった。
そこにぎっしりと建っている。
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ここは震災後、真っ先に建てられた仮設住宅団地である。
後発の仮設住宅はハウスメーカーなどが建設しているので、居住性だけでなくデザイン的にもそれなりの質が確保されているのに対し、最初期のものは建設業者が建てた飯場のような仮設で、冬季には相当きびしい環境に置かれるという。
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床下スースー、壁は一枚、玄関ドアからいきなり台所……部屋の中でも防寒着が離せなかったため、あとから床下を塞ぎ、外壁を二重にし、玄関前に風防室を設けたそうだ。
実は、体育館などで避難生活を送っていた被災者のうち、最も困窮度の高い方々が優先的に入居させてもらったのが、こういう初期に造られた仮設住宅なのだった。
あの過酷な避難所生活から一刻も早く移転させてあげるためには仕方なかったとはいえ、もう少し何とかならなかったのかと思う。
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ボランティア最初の仕事は、融雪剤の運搬だった。
市立体育館に保管されている袋を仮設住宅団地の集会所まで運んだが、それを撒くのは比較的若い被災者。こういう作業を通して自治会づくりが進んでいるように見えた。
その後はチラシのポスティングをさせていただいた。
「ひな祭り」のご案内。
引きこもりがちな居住者を少しでも外に出そうという目的のイベントだ。
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釜石警察署からのお知らせ。
警視庁・神奈川県警・長野県警・岡山県警・広島県警から合わせて45名の警察官が応援に来ていることが書かれている。
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私が受け持った二つの仮設団地は合わせて300戸で、約750人が居住している。
チラシ類を配布し終えた12時ころ、今度は被災者支援の豆腐が届いたという知らせ。
集積場所に駆けつけると、2000個以上の豆腐が積み上げられていた。
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パラグアイに住む日本人会から送られてきたものだ。
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パラグアイ産の大豆を使用して、岩手県内の業者が生産した豆腐。
要冷蔵だから早く配布しなければならない。
昼食時間ではあったが、さっそく両団地の集会所に運び込むことに。
現地では自治会の役員さんたちが待っていて、彼らと一緒に仕分けをしてきた。
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豆腐の配布を終えて、やっとランチタイムが訪れた。
仮設住宅見守りスタッフのHさんと中華料理店へ。二人ともお勧めの釜石ラーメンを注文。
かなりの極細麺である。
「運ばれて来たら早く食べ切らないといけませんよぉ」とHさん。
このラーメンは新日鉄社員のために開発されたものだ。彼らがさっと食べられるように、茹で時間の短い極細麺を使っているのが特徴。
スープもすっきりしていて、なかなか美味しいラーメンであった。
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さて、遅めの昼食を終えたら、自治会主催のイベントに。
講師は長いこと民生委員や町内会長を務めてきた葬儀屋さんだ。
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あの大震災から間もなく1年ということで、この日は仏事のお話しとマジックショーが行われた。
まだ気持ちの整理がつかない被災者もいるはずなのに、ずいぶんと思い切った企画を立てたものである。
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イベントのあとは再び、安否確認のため高齢者の部屋を訪問。
中には、こんな風に飾っている家族も。
午後5時、この日の活動を終え宿泊地の遠野へ戻る。
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ボランティア仲間と一緒に、駅近くの居酒屋へ。
遠野の地ビール「ZUMONA」。
ウマい!
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日本酒もいろいろあるが、ここは東北のために「浦霞」を注文。
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ちょっと食べてしまったが、このコロッケが抜群だ。
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ブリカマ!
ウマし!
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おこげ。
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サービスでいただいた漬物。
赤カブが絶品だ!
まだまだ飲み食いしたかったのだが、宿泊施設の門限が9時ということで、仕方なくお開きに。
雪道をフラフラと帰る。
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金太郎ハウスに戻り、事務室に立ち寄ると、ここを訪問した方々の名刺がたくさん置いてあった。
それらをめくっていたら、この方のも出てきた。
そういえば雑誌の取材で訪れたと仰っていたので、その時に置いて行かれたもののようだ。
あれからまた1年が経過した。
そろそろ再訪するかなぁ…。
←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね
遠野の朝はきれいに晴れ渡り、雪景色が眩しい。
そこにバスが到着した。

神奈川大学東北ボランティア駅伝の一行だ。
学生や卒業生たちが、駅伝のように次々と入れ替わってやって来るという。
神奈川県民として頼もしく思う。
この日の私のボランティア先は釜石市内の仮設住宅。
釜石線で1時間ほどかかる。しかも、下車駅からさらに30分ほど歩かなければいけないので、7時半頃宿舎を出発する。

8時45分、最寄駅の釜石線「小佐野」駅に到着。
ここから仮設住宅まで、延々と歩いて行く。

20分ほどで仮設住宅が現れた。

震災前は新日鉄釜石のグラウンドだった。
そこにぎっしりと建っている。

ここは震災後、真っ先に建てられた仮設住宅団地である。
後発の仮設住宅はハウスメーカーなどが建設しているので、居住性だけでなくデザイン的にもそれなりの質が確保されているのに対し、最初期のものは建設業者が建てた飯場のような仮設で、冬季には相当きびしい環境に置かれるという。

床下スースー、壁は一枚、玄関ドアからいきなり台所……部屋の中でも防寒着が離せなかったため、あとから床下を塞ぎ、外壁を二重にし、玄関前に風防室を設けたそうだ。
実は、体育館などで避難生活を送っていた被災者のうち、最も困窮度の高い方々が優先的に入居させてもらったのが、こういう初期に造られた仮設住宅なのだった。
あの過酷な避難所生活から一刻も早く移転させてあげるためには仕方なかったとはいえ、もう少し何とかならなかったのかと思う。

ボランティア最初の仕事は、融雪剤の運搬だった。
市立体育館に保管されている袋を仮設住宅団地の集会所まで運んだが、それを撒くのは比較的若い被災者。こういう作業を通して自治会づくりが進んでいるように見えた。
その後はチラシのポスティングをさせていただいた。
「ひな祭り」のご案内。
引きこもりがちな居住者を少しでも外に出そうという目的のイベントだ。

釜石警察署からのお知らせ。
警視庁・神奈川県警・長野県警・岡山県警・広島県警から合わせて45名の警察官が応援に来ていることが書かれている。

私が受け持った二つの仮設団地は合わせて300戸で、約750人が居住している。
チラシ類を配布し終えた12時ころ、今度は被災者支援の豆腐が届いたという知らせ。
集積場所に駆けつけると、2000個以上の豆腐が積み上げられていた。

パラグアイに住む日本人会から送られてきたものだ。

パラグアイ産の大豆を使用して、岩手県内の業者が生産した豆腐。
要冷蔵だから早く配布しなければならない。
昼食時間ではあったが、さっそく両団地の集会所に運び込むことに。
現地では自治会の役員さんたちが待っていて、彼らと一緒に仕分けをしてきた。

豆腐の配布を終えて、やっとランチタイムが訪れた。
仮設住宅見守りスタッフのHさんと中華料理店へ。二人ともお勧めの釜石ラーメンを注文。
かなりの極細麺である。
「運ばれて来たら早く食べ切らないといけませんよぉ」とHさん。
このラーメンは新日鉄社員のために開発されたものだ。彼らがさっと食べられるように、茹で時間の短い極細麺を使っているのが特徴。
スープもすっきりしていて、なかなか美味しいラーメンであった。

さて、遅めの昼食を終えたら、自治会主催のイベントに。
講師は長いこと民生委員や町内会長を務めてきた葬儀屋さんだ。

あの大震災から間もなく1年ということで、この日は仏事のお話しとマジックショーが行われた。
まだ気持ちの整理がつかない被災者もいるはずなのに、ずいぶんと思い切った企画を立てたものである。

イベントのあとは再び、安否確認のため高齢者の部屋を訪問。
中には、こんな風に飾っている家族も。
午後5時、この日の活動を終え宿泊地の遠野へ戻る。

ボランティア仲間と一緒に、駅近くの居酒屋へ。
遠野の地ビール「ZUMONA」。
ウマい!

日本酒もいろいろあるが、ここは東北のために「浦霞」を注文。

ちょっと食べてしまったが、このコロッケが抜群だ。

ブリカマ!
ウマし!

おこげ。

サービスでいただいた漬物。
赤カブが絶品だ!
まだまだ飲み食いしたかったのだが、宿泊施設の門限が9時ということで、仕方なくお開きに。
雪道をフラフラと帰る。

金太郎ハウスに戻り、事務室に立ち寄ると、ここを訪問した方々の名刺がたくさん置いてあった。
それらをめくっていたら、この方のも出てきた。
そういえば雑誌の取材で訪れたと仰っていたので、その時に置いて行かれたもののようだ。
あれからまた1年が経過した。
そろそろ再訪するかなぁ…。
