久しぶりの「隆蓮」である。前回行ったのが確か4月だったので、もう4か月も訪問していなかったわけだ。
で、この日食べたのは日替わりランチ。イカと青菜のシャッキリ炒め(うろ覚えだが…)。
ひと口頬張ると絶妙の炒め具合で、まさにシャッキリしている。
これらを絡めている餡というか汁というか、それがまた超絶的な旨さなのである。
ここは奇をてらったところのない、オーソドックスなメニューが多く、そのどれもが優しく、まっとうな味わい♪
この日はワカメのスープだったが、澄んだ旨さを感じる。
さらに、ランチに付いてくる沢庵の千切りが嬉しいね♪
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食後の「隆蓮オリジナル白雲豆腐」。
人工的な感じはなく、健康的な美味しさである。
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大鹿村の塩。
海のない長野県の山で採れたものだそうで、「山塩」という。
ひと口舐めさせていただいたら、ビックリするほどの旨さ。
塩が旨いと思ったのは初めてのことだ。
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「隆蓮」のショーウィンドーに飾られた作文。
中華学校に通うお店のお子さんが書いたものらしい。
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以下にその一部を抜粋しておこう。
「隆蓮」という店や総料理長の歴史などを垣間見ることができる。
私の祖父は18歳から77歳である今も現役の料理人として働いています。
写真は祖父が昭和36年頃に皇居で行われた園遊会に料理人として行った時のものです。祖父はその当時、東京の新橋田村町にあった中国飯店に勤めていました。
この中国飯店は、日本の広東料理の源流といわれており、一日に1000人もの人々が訪れ、数々の有名料理人を産んだ伝説のお店です。その頃、広東料理の料理人を目指していた華僑の人々は、ここに集まって修業をしていたそうです。
祖父はこの中国飯店で18歳から見習いとして修業をし、四〜五年で四番鍋を振り始め、のちに二番鍋を振るまでになりました。
当時、香港・上海・台湾から日本に来る料理人が多かったなか、華僑として厨房に立った祖父は、日本語・中国語(北京語)、そして広東語が話せたため、中国飯店を代表して、年に20回程出張料理を作りに出かけていたそうです。
出張先には、華族のお宅・企業のイベント・箱根サミットなどがあり、園遊会もそのうちの一つです。
写真は三、四回行った園遊会の一場面で、食事をしている男性は、現在の平成天皇(当時皇太子)の弟君の常陸宮正仁親王です。
私は祖父がそんな方々に料理をふるまっていたことを、とても誇らしく思います。
以下略
なるほどね。
同店のHPにも「日本の広東料理の源流、伝説の中国飯店を始め、数々の名店で腕をふるった名料理人『陳 民楷』が総料理長として心を込めてお作りします」と書かれている。
お孫さんの作文から計算すると、総料理長は昭和20年代に中華料理の世界に入ったようだ。
店としての歴史は新しいけれども、料理を作る方の腕は相当の年季が入っているのね。
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で、この日食べたのは日替わりランチ。イカと青菜のシャッキリ炒め(うろ覚えだが…)。
ひと口頬張ると絶妙の炒め具合で、まさにシャッキリしている。
これらを絡めている餡というか汁というか、それがまた超絶的な旨さなのである。
ここは奇をてらったところのない、オーソドックスなメニューが多く、そのどれもが優しく、まっとうな味わい♪
この日はワカメのスープだったが、澄んだ旨さを感じる。
さらに、ランチに付いてくる沢庵の千切りが嬉しいね♪

食後の「隆蓮オリジナル白雲豆腐」。
人工的な感じはなく、健康的な美味しさである。

大鹿村の塩。
海のない長野県の山で採れたものだそうで、「山塩」という。
ひと口舐めさせていただいたら、ビックリするほどの旨さ。
塩が旨いと思ったのは初めてのことだ。

「隆蓮」のショーウィンドーに飾られた作文。
中華学校に通うお店のお子さんが書いたものらしい。

以下にその一部を抜粋しておこう。
「隆蓮」という店や総料理長の歴史などを垣間見ることができる。
私の祖父は18歳から77歳である今も現役の料理人として働いています。
写真は祖父が昭和36年頃に皇居で行われた園遊会に料理人として行った時のものです。祖父はその当時、東京の新橋田村町にあった中国飯店に勤めていました。
この中国飯店は、日本の広東料理の源流といわれており、一日に1000人もの人々が訪れ、数々の有名料理人を産んだ伝説のお店です。その頃、広東料理の料理人を目指していた華僑の人々は、ここに集まって修業をしていたそうです。
祖父はこの中国飯店で18歳から見習いとして修業をし、四〜五年で四番鍋を振り始め、のちに二番鍋を振るまでになりました。
当時、香港・上海・台湾から日本に来る料理人が多かったなか、華僑として厨房に立った祖父は、日本語・中国語(北京語)、そして広東語が話せたため、中国飯店を代表して、年に20回程出張料理を作りに出かけていたそうです。
出張先には、華族のお宅・企業のイベント・箱根サミットなどがあり、園遊会もそのうちの一つです。
写真は三、四回行った園遊会の一場面で、食事をしている男性は、現在の平成天皇(当時皇太子)の弟君の常陸宮正仁親王です。
私は祖父がそんな方々に料理をふるまっていたことを、とても誇らしく思います。
以下略
なるほどね。
同店のHPにも「日本の広東料理の源流、伝説の中国飯店を始め、数々の名店で腕をふるった名料理人『陳 民楷』が総料理長として心を込めてお作りします」と書かれている。
お孫さんの作文から計算すると、総料理長は昭和20年代に中華料理の世界に入ったようだ。
店としての歴史は新しいけれども、料理を作る方の腕は相当の年季が入っているのね。
